天皇陛下の『生前退位の意向』と明治維新以降の天皇制の特殊性:日本人が天皇に求める親の表象

天皇が生前退位して上皇・法皇になれないのは、国家主権・権威の分裂(院政・神仏習合)を禁ずる大日本帝国期の近代天皇制の遺制だが、現代では天皇の終身在位は非人道的だろう。

【速報】天皇陛下「生前退位」の意向を示される。内外にお気持ち表明検討

近代天皇制は、天皇を西欧列強の崇めるキリスト教の神になぞらえるかのような日本固有の『唯一の現人神の擬制』として仮定した。だが明治・大正・昭和の時代とは人間の平均寿命と医療水準、メディア環境(皇室の公開度)が違いすぎておりある程度の健康・意識の状態を保って60~70代で崩御する事が想定しづらくなった。

現代で天皇が現人神だとストレートに信じる人はいないとしても、天皇も人間である以上、『健康な身体・精神を維持しづらい老後』が問題となる。今上天皇は戦後日本の平和と理性を象徴する人格として最高水準で働かれてきたが、80代に入り『国民統合の象徴として機能する心身の限界』を感じ退位の必要を悟られたのだろう。

今上天皇は即位式で『憲法に定められた天皇像を念頭に置く・現代にふさわしい天皇と皇室のあり方を求める』と宣言、『被災者・高齢者・障害者など国民の中でも特に弱く困った立場にある者に寄り添う慰安』を重要な公務とし、相手と同じ目線まで降りて話された点でも、戦前と戦後の天皇の象徴性・権威性を急転換させた。

平成は、良くも悪くも『天皇の象徴性』に昭和天皇まで持っていた『支配性=上位性と超越性』が天皇自らの立ち居振る舞いで排除されていき、『国民の中にある民主的・立憲主義的な天皇像』が構築された時代だろう。昭和天皇までフィクションではあるが『天皇の老化・衰退・介護による職務不能の想定』はタブーに近かった。

戦前まで一般国民にとっては近世以前と同じく『御簾の向こうにいる天皇』に近く、メディアが天皇・皇族の容貌や私生活を直接的に取材することがなかったので、『天皇のリアルな老化・衰退』はないものとするフィクションで押し切れたが現代はそうはいかない。今上天皇はそれを見据えた上で、生前退位を希望されたのだろう。

時代が進み、戦前の現人神に擬制された天皇は人間となり、今上天皇は一般国民の弱者に寄り添う有徳・謙譲の新たな天皇像を示した。だが皇太子が即位して以降の天皇制は、平成期の天皇の人柄が際立ったために、より『神聖性・フィクションに依拠できない人間性・こころのあり方の模範』が要請されるハードルは上がるだろう。

天皇を神とまでは言わないが超越的=国民全体の家長的な存在であるかのように信じていた世代の多くが鬼籍に入りつつある。天皇も心身が老いて弱る当たり前の人間であることが改めて示され、現代の日本人にとって『天皇の存続性の根拠』がどこにあるか、皇室典範改正の議論の延長により本質的・歴史的な問いも待っている。

人間は心の拠り所を必要とする、そのもっとも典型・原点が『親』である。戦前戦後には現代でいうアダルトチルドレンと言っても良いが、親の愛情に十分触れられない日本人が大勢いた、彼らにとって天皇・皇后は国民共通の擬似的な家長・慈母でもあり思想的にも国民は『赤子・せきし』とされ永遠の恩義の紐帯で結ばれるとした。

こういった永遠の愛情と恩義の紐帯のようなものを、現代人が欲していないわけではなく、むしろ無縁化・個人化する中で『永続する絆・愛情と信義』のようなものが理想化されている。だがフィクションの幻想が破壊される中で、現代の日本人が天皇を象徴的家長・見守り者として『心の拠り所』にし続けられるかは疑問もある。

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