子供のいない人生について後悔するか後悔しないか?:自分で自分をどう納得させて自己洗脳できるかが問われる

人は決定的な苦境や欠乏に落ち込まなければ、プライドと自己洗脳によって『後悔しない知的動物』だが、子供は人生の価値観競争になりやすい。80代になれば尚更『今になって後悔することの意味』はないものだ。

81歳の今だから語れること「子どものいない人生に一度も後悔はありません」

『子供のいない人生に意味はない・寂しい』というのも、『子供のいない人生で後悔・寂しさがない』というのも、それぞれのやり直せない選択の自己補強であり、共感者・賛同者を増やしたいとする洗脳合戦でもあるが、あまりに強い(違う人を全否定する)自己主張だと逆に『自己信念の揺らぎ・不安』の漏出になってしまう。

客観的に80代にもなれば、生命の炎がか細くなり、自己意思を貫徹する土台の脳・健康そのものが揺らいできて、頑固になる人もいるが、かなりの割合の人は『まぁまぁ、あなたも頑張ってきましたねというこだわりの無さの境地』に至る。年を重ね『自分らしさへの過剰なこだわり』が緩む方が精神的に余裕のある人になる。

生命を全うする時に後悔しないかとか、死ぬ直前に笑顔で感謝して死ねるかとかいうことを、『人生の価値の本質』のように捉える一般的な人生観は根強いが、本当に死が差し迫ってきた時(老衰が極まった時)に『明晰な頭脳・分別する意識』が残されているかといえば大半は残されておらず、最期は何が何だか分からないだろう。

自分の生きてきたベタな人生を肯定したり納得したりすることには、自己洗脳のセンスがいるが、そのセンスが悪いと『自分と関係者だけの納得』だけでは不安で面白くない思いになり、『自分とは異なる他者の否定の洗脳合戦』によってやり直せない自分の足場を固めたくなってしまうのも社会的動物たる人の性である。

『子どものいない人生に一度も後悔はない』『他者の思惑を全排除して自分を常に確認して自己選択すべき』は少し強すぎる主張で、『子供のいる人生の楽しさ・面白さ』にブラインドしすぎている。年齢が高くなるほど『自分とは違う他者の良さ』に意識を向けたほうが、抑圧のリスクはなくなる、難しい事ではあるが。

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