選択的夫婦別姓の問題はなぜ解決が難しいのか?、 自民党の改憲は「歴史的使命」とはいうが国民からの要請がないなど

○自民党の長期政権と安倍首相の改憲表明が5年以上続き、政治の緊張感と一般的な関心も薄れてきた。政治家の凄い所は、初志貫徹というか共産党など含め「10年1日の同じ論調・目的」を続けられる事ではある。

安倍首相、改憲は「歴史的使命」=公明代表は慎重姿勢 (時事通信社 – 01月05日 12:05)

戦後70年、改憲について語るべき論点はすでに何回も「同じような図式」で語り尽くされてきて、改めてまたゼロから論争するのはなまじ憲法論に興味のあった人ほど「またか」の気分になる。祖父岸信介の日米安保闘争の頃から続く安倍首相の歴史的使命とされる改憲だが、確かに興味の移ろう一般人では粘り強さに負けるだろう。

民主主義政治の難しさ、民意の曖昧さは、「政治家や政党の信念・目的の長期的な継続性」に対して、民意を担う一般国民の少なくとも過半は「憲法問題の関連書籍の一冊」も読むことはなく(安倍首相も芦部信喜を知らない程度には憲法論を読んでないが)、改憲でも護憲でも論陣を張るほど毎日は意識していないという事である。

近代的な憲法とは何か、近代日本の権力・身分と国民と戦争(戦死)の相関関係が戦前・戦後でどう変わったかの基本的理解を欠いたまま、「歴史的使命としての改憲」を推進するといわれても一部の人の思想・悲願である。「現代日本の問題・国民生活に即応する改憲」のほうがまだ「歴史的使命の改憲」より説得的である。

○深夜労働をやりたくない人が強制されるなら問題だが、労働力が供給できなくなるか採算が極端に悪化すれば24時間営業から撤退する店舗は増える。労働力不足は小売・飲食の接客業全般に波及している。

24時間営業に「黄信号」=人手不足が深刻化-コンビニ大手 (時事通信社)

「嫁」という歴史的概念が「イエ・旦那に養われる擬制身分の概念」として残る地域・一族なら有り得るが、上下関係を強いる姑は時代錯誤になり、遠慮がちな姑も多い。

○「正月に一番働くべきなのは嫁」ノンストップ「ダメ嫁判定」が物議 「時代錯誤」「ありえない」 (キャリコネ)

男女共働き率の高い現代の若年層に「家で常に働くべきなのは嫁・新顔の嫁は親族集団において一番下の身分的役割で下働きせよ」と定義して押し付けることは、個人差・地域差・固定観念(性別役割の慣習)の影響は大きいが、不可能に近いだろう。幼少期から成育家庭・地域の刷り込みがあり経済問題があれば甘受する人もいる。

○選択的別姓で不利益を受ける個人はいないのになぜ反対するのかだが、個人の選択を増やすと伝統的な規範・所与の義務が崩れるとして「多様化・個別化に反対の保守派」は元々多い。

「多様な個性、認める社会に」=選択的別姓求め9日提訴-サイボウズ社長・東京地裁 (時事通信社)

「男女が結婚すれば同姓にすべき」とか「結婚は異性としかできない(同性婚は認めない)」とかは、近代日本の法的根拠のある婚姻の常識・規範であり、個人の人権が弱く圧倒的多数がその常識に従っている間は「マイノリティの不都合・不利益」を「個人のわがまま・異常な考え・みんなに合わせよ」として簡単に退けられた。

選択的別姓に反対する心理というのは「社会共通の常識・規範として近代日本で機能してきた夫婦同姓」を疑うような個人(自分が気に入らない考え方をする人)が増えて欲しくないとか、「家・家族のコミュニティーより個人(自分)を優先するような考えの人」ができるだけ増えてほしくないとかいう保守主義と相関している。

旧来の男尊女卑とも関係する性別役割・ジェンダーにしても、1990年代までは「男は仕事・女は家事育児(夫に尽くす・何があっても離婚はダメ)」の差別要素もある役割分担が、「男性の甲斐性・プライド」や「女性の貞節・良妻賢母(母性神話)」で押し付けられて、疑問を呈すれば「普通じゃない可哀想な人」と思われた。

保育所問題もその歴史過程では「母親なら誰でも3歳くらいまでは子供につきっきりで育児したいのが当たり前」や「生まれてすぐ保育所に赤ちゃんを預けるなんて母性のない冷淡な母親・子供が可哀想・仕事を選ぶエゴイスト」という社会共有の母性神話・女性ジェンダーの影響は強かった。能力ある女性でも多くが重圧に屈した。

保守派の人は、多様な個性や相対主義の価値観を認める「ダイバーシティーな現代社会」というのは基本的にはあまり好きではないだろう。どちらかといえば、「みんなが無条件に従うべき昔ながらの倫理的・共同体的な黄金律」があって、黄金律に反する人を「反論困難な世論」を背景に指弾し反省させる図式を好む傾向がある。

「結婚や育児のやり方は人それぞれ」とか「個人ごとにそれぞれの価値観や選択があるのは当然」とか思っている人は、選択的夫婦別姓に反対することはまずない。しかし「結婚とは夫婦とは?であるべきで、それから外れる人は普通ではない(既存の望ましい規範秩序を壊す)」と考える人は個の選択はわがままだからダメとなる。

選択的夫婦別姓とは「社会には異なるバラバラの価値観を持つ人がいてもいいリベラリズム(集団・家族よりも究極的には個人が優越する)」と重なりやすく、夫婦別姓反対は「社会はできるだけ画一的・均質的な価値観や常識に従う普通の人たちで構成されるべき(個人よりも社会・家族を優先)」と重なる。

日本における保守主義は、みんなが同じような価値観や常識感覚を持ってそれに違反する人を「おかしな人・普通ではない人」として非難することで「望ましい社会秩序」が保たれると考えやすい。「別にそういう考え方・生き方もいいよね」の相対主義になって、社会共通の「世間の目として機能する常識・普通」が弱まると困る。

選択的夫婦別姓に反対の人は「夫婦・家族の一体感が弱まるから反対です」という意見が多いが、これに対し「同姓か別姓かを選択できるのだからいいじゃない」という賛成派の意見は的外れで、「みんなが同姓が普通、別姓はおかしいとする社会の空気」を維持したいのだ。個人単位で自由にやればいいの価値観自体に拒否的である。

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