映画『探偵はBARにいる2 ススキノ大交差点』の感想

総合評価 83点/100点

事件の捜査能力とススキノでの人脈はあるが、女好きの俗物で自堕落なところもある探偵の“俺”(大泉洋)、空手の格闘技の達人でいつも飄々としてマイペースな助手の高田(松田龍平)が札幌の街で繰り広げるドタバタの探偵物語。

ススキノのショーパブ『トムボーイ・パーティ』に勤めるトランスジェンダー(オカマ)のマサコ(ゴリ)は、お客さんを魅了するマジックが得意でその腕を磨いている。テレビ局が主催するオカマの特技選手権で見事に優勝して一躍有名になったマサコをみんなが祝福してくれたが、間もなく撲殺死体となって発見されてしまう。

マサコと親しく付き合っていた探偵の“俺”は必死に捜査をするのだが、マサコの交友関係や性格・行動履歴からは、まったくマサコを殺そうとする怨恨・利害関係が浮かび上がってこずに手詰まりとなる。“俺”は捜査が進まない苛立ちもあってか、兼ねてからの女好きの病が発症してしまい、極上の女(麻美ゆま)にはまって毎晩セックスをし続ける依存症状態に陥る……(この辺は年齢制限があることもあり性的描写を結構大胆にしている)。

3ヶ月が経過してカネのない“俺”は、金持ちに乗り換えた極上の女から無惨に捨てられるが、その間に、ショーパブの仲間たちはマサコの事件に対して急にそっけなくなり誰もその話題に触れなくなっていた。『お前ら、冷たいじゃないか』と怒鳴る“俺”、『お前こそ3ヶ月も連絡なしでどこをほっつき歩いてたんだ』と返され、『いや重度の病気(女関係)にかかっていて……』と言葉を濁す“俺”というコミカルなやり取りがあったりもする。

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映画『図書館戦争』の感想

総合評価 85点/100点

現在でも少年犯罪(凶悪犯罪)や治安悪化の原因として、ホラー映画(クライム映画)やアダルトコンテンツ、暴力表現が『健全な人格構造・価値観の形成』を直接的に歪ませて犯罪を増加させるという意見はあるが、発達心理学的に『メディア強化説』が立証されたことはない。

しかし、善良・潔癖な市民や道徳的な識者が“公序良俗”を盾として、『不健全で暴力的と見なされるメディア(コンテンツ)』を規制しようという動きはいつの時代にもある。『図書館戦争』は言論・表現の自由を守ろうとする“図書隊”と公序良俗のために本の検閲・焼却をしようとする“メディア良化隊”との戦いを題材にした近未来映画で、そこに図書隊内部の恋愛や人間関係のエピソードを挿入することで物語としての厚みが増している。

正化(せいか)31年、あらゆる不正・有害とされるメディアを取り締まる法律『メディア良化法』が施行されてから30年が経過した日本では、『言論・表現・思想信条の自由』を守る最後の砦として図書館がある。図書館は『武力による強制的な検閲』を法的に認可されたメディア良化隊に対抗するため、専守防衛を実行する独自の武装組織『図書隊』を結成する。

図書隊員は『見計らい図書(資料収集のための本の買取り)』『図書館施設の自衛権』など法的な特権を駆使し、市民が過去の時代のようにあらゆる本に触れられる自由を死守しようとしていたが、書店や図書館に強行突入してくるメディア良化隊との間で何度もの武力衝突が起こる。敵を殺さずに威嚇射撃に留める専守防衛の原理原則を貫く図書隊は少なからぬ犠牲者を出し続けているが、あらゆるメディアが検閲される監視社会において、資料収集と閲覧機会の確保を進める図書隊の士気と結束は高い。

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映画『ラストスタンド』の感想

総合評価 76点/100点

凶悪事件とは無縁の小さなメキシコ国境付近の田舎町ソマートン、そこで保安官として勤めるレイ・オーウェンズ(アーノルド・シュワルツェネッガー)の元に、収監中に脱走した麻薬王のガブリエル・コルテス(エドゥアルド・ノリエガ )がその町を通過するという一方がFBIからもたらされる。

身体能力に秀でた凶暴で残酷なコルテスは、麻薬カルテルを親から引き継いだボンボンだが、一流のプロドライバーとしてのキャリアと生きるか死ぬかのスリリングな限界状況を楽しめる精神を持ち、追跡してくるFBIを翻弄して振り切っていく。麻薬市場から流れ込んでくる莫大なカネと州警察でも抑えきれない圧倒的な暴力・私兵組織によって、何でも思い通りにしてきたコルテスは、自分の精神をハイにしてくれる刺激や手応えのあるハードルに飢えている。

FBIや警察官を殺傷して退けながらの脱走劇もある種のゲーム感覚であり、メキシコ国境を越えるところまで事前に入念にシミュレートした脱出計画を淡々と遂行してゆく。

盗んだモンスターカーのシボレー・コルベットZR1を、卓越したドライビングテクニックで時速400キロ超で飛ばし続ける。追跡するFBIや先回りして待つ警察の装備と人員を遥かに凌ぐ『私兵の軍隊』を組織して戦争並みの軍事攻撃を仕掛けて突破していく。

バリケードを作って拳銃やショットガンで地道に応戦する地元警察だが、コルテスの私兵たちの最新のマシンガンやパトカーごと吹き飛ばすロケットランチャーに対抗することはできず、次々と防衛ラインを突破されてしまう。『軍隊(傭兵部隊)対警察・保安官』の力量差があり、コルテスの猛スピードでの逃走を止めるだけの実力が警察側にない。

メキシコと接する田舎町のソマートンを麻薬王コルテスが通過するという報告を受け、コルテスの率いる傭兵の軍隊や最新鋭の武器に小さな町ではとても対抗することはできないから、黙って通過させたほうが安全だという町民の意見もでるのだが、法律に違反する不正や麻薬の被害拡大を見逃すことはできないとするレイの決断により、ソマートンを守るレイを筆頭とする保安官たちが『ラストスタンド(最後の砦)』としてコルテス逮捕に備えることになる。

武器は『武器博物館』を自分で作っている町のコミカルな武器マニアであるルイス・ディンカム(ジョニー・ノックスビル)が備蓄していたものを使うことになるのだが、コルテスの傭兵部隊の銃器と比べるとかなり旧式で、第二次世界大戦のドイツで使われていたモデルのような代物も含まれている。

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Yahoo!による約11億ドルの“Tumblr”の巨額買収。若手ギークのアメリカンドリーム。

Tumblr(タンブラー)は日本ではまだウェブのコアユーザーにしか使われていないマイクロブログ・サービスだが、世界では『本格的なブログ更新の労力・時間を惜しむ若年ユーザー層』を中心に大きなトラフィックを集めるようになっている。

Tumblrとは、情報収集能力やトピックの感度が高いユーザーをフォローすることによって、ウェブ上の多種多様なコンテンツを集めたり紹介したりすることができる『キュレーション』のWebサービスであり、自分自身でブログを書く用途には殆ど使われていない。

Tumblr
https://www.tumblr.com/

誰でも手軽に更新できるというか、『他のブログ記事』を簡単に引用して大勢と共有できるサービス(転載ではないかという著作権上の批判もあったが一応オリジナル記事のURLを表示してアクセスを還流させる形式)であり、簡単に言ってしまえば『Twitterのフォロー機能』をブログに拡大したサービスと言える。

Twitterの『リツイート(RT)』に当たる機能がTumblrの『リブログ』と呼ばれる機能なのだが、このリブログをオリジナルの次の段階で素早くできるユーザーが、“キュレーター(情報編集者・紹介者)”として大勢のフォローを集めるという仕組みになっている。

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乳がん予防のための遺伝子検査と乳房(乳腺)の予防的切除:アンジェリーナ・ジョリーの事例

乳がん予防切除の効果のエビデンスは確立していないが、遺伝子検査の結果と発がんリスクとの相関をどこまで有意だと信じるかによって『予防的な乳腺・乳房切除』の意義は変わってくるように思う。

がん(癌)には家族遺伝性があり、母親・姉妹が乳がんを発症していて遺伝子の変異もあれば有意に発がん率は上昇する。だが、それでも確率論におけるリスク上昇であって(家族が乳がんであってもそのリスクは2倍程度の上昇範囲である)、切らなければ将来絶対に発症するとまでは言えず、検査による『遺伝子変異の確認』のみの段階(家族因がなく自分も発がんの既往がない)では切って予防するというのは一般的ではないだろう。

乳房切除というのは『身体的な負担・違和感』もあるが、それ以上に『精神的な苦痛・女性アイデンティティの混乱』をもたらす可能性もあるものであり、既に片方の乳房に乳がんが発症したなど『次の発がんリスク』が相当に高くない限りは、少しでもリスクがあれば切除したほうが良いかは個別の価値観(リスクの見方)に拠るものだ。

世界的な知名度のあるハリウッドセレブのアンジェリーナ・ジョリーが、予防的な乳房切除と再建術をしたことで話題になっているのだが、彼女の場合は一流の医療スタッフの手厚いアフターフォローを受け続けられることが確実な経済力の裏付けがあり、『切除を決断したリスクの高低やその根拠(遺伝子・既往歴に関する極めてプライバシーな情報)』については報道でも十分に明らかにされていない。

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夫婦間の『会話の短さ・欠如』は珍しくないかもしれないが、

意図的かつ長期間の『無視・無反応』は実質的な関係の破綻、相手の人間性の否定のようなものだろう。

夫が妻を「23年間無視」 長期間の会話ゼロは「精神的DV」なのか?
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20130520-00000392-bengocom-life

口を開けば喧嘩になるだけなので話さないようにしようなど、双方が同意の上であれば、お互いが家でできるだけ顔を合わせないようにしてそれぞれで生活をする『家庭内別居・家庭内離婚』という形態もあり得る。

しかし、どちらかがそういった冷戦状態に精神的に耐えられないのであれば『別居・離婚』に至ることになるだろうし、一言も話したくないとか相手が話すこと全てにイライラするとか、顔も見たくないとかいうレベルになると、通常は共同生活は著しく困難となり別れるだろう。

生活を共有していない恋人時代には、会話が少ない(弾まない)とか全くないとかいうことは、よほど無口(寡黙)な人でないと余り考えられないが、付き合いが長期化したり生活時間を共有しはじめると、『共通の話題がなくなる人・相手の話すことへの興味がなくなる人・仕事や家事育児が忙しくて雑談する気持ちの余裕がなくなる人』もポツポツと出始める。

相手のことを知りすぎて話すことがなくなるという場合もあるが、『相手の話しかけてくる内容や質問に意識を向けて答えるかどうか』ということが重要であり、それと合わせて『相手がゆっくり会話できるような余裕・時間がある状態にあるかどうか』の見極めも大切である。

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