口臭の悩みと『虫歯・舌苔・歯周病・タバコ・コーヒー・酒・内臓疾患』との相関

スマホ普及期から、口臭に悩むビジネスマンが増えたの統計学的根拠が疑わしい。内臓の疾患・炎症を除き『虫歯・舌苔・歯周病が無い』で口臭の9割は防げる。近年の若者は乳幼児期からの虫歯予防で口内環境は逆に良い印象のほうが強いけれど。

若者に増えている「スマホ型口臭」とは?

現在の30代以上の世代では虫歯(治療済含む)がない人の方が相当少ないが、今の若者世代は『虫歯ゼロの人(治療履歴もない人)』の割合は上昇している。歯並びや歯の質感が綺麗な人も多い印象。乳幼児期の『親からのミュータンス菌感染の予防』や『こまめな歯磨き習慣・衛生意識・歯列矯正』等が影響していると思われる。

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『子供はいらない』という人は人間性に乏しいのか?:子供の有無を選択可能とした人間性・文明社会

子供・結婚・仕事・政治など価値観対立が生じる雑談では『自分の生きてきた人生を肯定したい主張』を抑え『相手の生き方や選択に寄り添う発言』をするのがマナー。生き方の違う他者を否定し自己正当化を図っても仕方ない。

「子供いらない」は人に非ず?肩身の狭い女性も

人は本能だけに機械的に従う存在ではないからこそ、法律や倫理を構築し社会を形成する事に成功した特異な種。性欲も幻想なしには男が勃起しない『本能が壊れた動物』で、自己遺伝子保存はヒトにとって自然ではなく、『避妊・自我・価値観・将来予測・家族計画』などで本能が出産まで発展するかは意思的・選択的である。

『子供がいらないという人』が人ではないのではなく、各種の要因や配偶者(異性)との価値観のすり合わせで『子供がいるかいらないかの選択肢』を持てるということそのもの、『性行為と生殖行為を分離できること(避妊・中絶など選択肢を作り出したこと)』が自然と本能を懐疑可能な人間性(人為・理性)の本質だろう。

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『ゼロリスクの安全・快適・清潔』を追求する現代社会と私たちはどこに向かうのか?

現代は『ゼロリスクの安全・快適・清潔』を追求し、リスクある行動をして失敗すれば『自己責任・社会的コスト(迷惑・税金の無駄)』と批判されるが、本来人生も自然も不確実性との戯れの中に充実や美感がある。

「嫌い」「危ない」で消える学校の風景、過保護の代償

予定調和の決まりきったコースを進むだけの人生、自然の多様性や危険性から文明・科学のバリアで守られきった生活、新たな出会いや挑戦から遠ざけられて安全圏の中に留まる日常…それらは近代社会が理想としてきた『揺籃から墓場までの安全安心』の典型だが、人間が生きる意義・高揚を摩滅させてきたものでもある。

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“海外在留邦人の保護”をするために日本政府はどのような政策を取るべきか?

『海外邦人の保護対策』と同等に『海外邦人が狙われるリスクを下げる外交戦略・国是の明示化』も必要。挑発的な外交や平和主義を歪曲した国是を示し、邦人保護の必要を強調すれば軍事的対抗策の議論に行き着く。

<外務省>携帯で緊急通報など海外邦人安全対策

『ISとの戦い』に日本国が軍事面や軍需物資・部隊派遣など後方支援の面で協力することはないという事を、安倍首相は人質事件の事後に説明したが、『人道支援のみに限定した資金支援の主旨』がエジプトでの演説の中で伝わりきらなかった。ISやボコ・ハラム等イスラム過激派との向き合い方は日米関係との兼ね合いが影響する。

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憲法改正に意欲を見せる安倍首相、来夏の参院選後に『国民投票』の可能性を示唆

安全保障より生活窮乏(所得減・増税)で大勢の国民が犠牲になってるが、改憲は『国民主権・平和主義・人権』の三原則を変質させ、国民の不安・不満の原因を内政から国外や軍事にミスリードする方向へ行くのではないかと不安である。

首相、国民投票は来夏の参院選後に 憲法改正へ意向

日米軍事同盟の強化が叫ばれる中、アメリカが日本に思い通りの血と汗の負担をさせられない抑止力となっているのが、米国GHQが起草に参加した日本国憲法である。憲法9条や25条の改正は、日米同盟の中で『日本人の犠牲』を払ってでも米国の世界秩序や地政学的リスクの封じ込めに参加する責任履行を担保する恐れがある。

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小中学校の『道徳教科化』についてどう考えるか?:主体的に善悪の分別や人倫の本質を考えてもらいたい

義務教育で『善悪の分別の思考力』や『人倫の本質的な理解力』を培う教科を創設したいのであれば、『道徳(moral)』という権威的な教訓や全体への従属義務の意味合いを感じる科目名にするよりも、『倫理学(ethics)』という哲学的かつ主体的な思考プロセスを重視して、善悪と自由の本質を議論する感覚のある科目名にするほうが良いかもしれない。

道徳はリージョナル(個別的)なものではなくユニバーサル(普遍的)なものであるべきだが、日本で『道徳』というと、どうしても教育勅語のような『固定された儒教的な価値判断に基づく記憶と実践』になりやすいし、旧会津藩の『ならぬものはならぬのです』というような理由も根拠も分からないが、上位者から怒られるのでとにかく守るしかないという教条主義に陥りやすい。

道徳教育には賛成も反対も両方あるが、反対する人たちは、戦前の『修身(道徳科)』の君臣秩序・滅私奉公(自己犠牲)を中心軸にした権威主義的な道徳教育のトラウマが深いのだろう。権力や上位者にとって都合の良い個人の権利を押さえつける価値観を、一方的に教えられて同調圧力をかけられるのが道徳といった思い込みが、道徳教育への抵抗感を形成する。

戦後日本の道徳は『自他の生命を大切にすること・権力によっても個人の生命や自由を恣意的に支配することはできないこと』であるが、戦前日本の道徳は『生命に執着せずに全体(国体・天皇)のために潔く散れること・天皇を最高位とする国制上の上位者に絶対忠実であること』という正反対のものであった。

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