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原発事故被災の子供のいじめ問題、 日本の弱者批判・寄付文化の弱さ・自己責任の価値観にあるものは何か?

原発事故避難先でいじめや差別が62%のニュース。日本は生活保護バッシングや旧同和問題・在日韓国人ヘイトもそうだが『社会的弱者・困窮者・旧被差別者・犯罪被害(特に賠償請求者・公的救済者)に対する同情・支援・寄付』は一般に薄く感じる。被害・病気・障害の直後は同情するが『長期化・金銭補償』では冷淡さが出る。

いわゆる弱者利権の現実と妄想の問題だが、端的には日本社会や日本人の価値判断では『弱者利権に対する妄想的なやっかみ(相対弱者の方が得)・非難(社会的負担への不満)』も少なからず含まれる。原発事故でも長期化や金銭補償を嫌う層やそれまで原発で雇用されていた人(誘致・許諾した行政)は自業自得の類の批判もある。

中流崩壊によって健康で仕事があってもかつかつの生活をしている人が増えた影響もあり、『弱者の装いをして不当な利得を得ているのではないか』『みんなそれなりに厳しい生活をしているのに(もしかしたら自分よりマシな経済・家庭の状況では)』といった妄想も含めた不満・疑惑・(リソース配分の)競合意識の膨張もある。

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フクロウカフェに対する動物愛護精神からの内部告発と現代で高まる動物への共感性・倫理観

倫理観が高度化しネットで内部告発が拡散する現代は、動物使用のビジネスはペットショップや動物園でも一定のリスクがある。動物を『愛護・野生・絶滅危惧』と『食用・家畜・使役』に分類するのも人間側の倫理だが。

劣悪な環境で次々死んでいくフクロウ…フクロウカフェの元スタッフが内部告発

そもそも論では動物界には倫理(共感・生命尊重による手加減)はなく、動物同士の捕食や縄張り争い、遊び(弱い動物の虐待)の有形力行使は『弱肉強食・食物連鎖の自然の摂理』でしかない。動物の権利は自然の淘汰圧を抑え生態系の頂点に立った余力ある人間の『倫理的な自己尊厳・自然管理主義』の発露でもあるだろう。

『種の保存』も利己的遺伝子の個体保存で、『種』というグループ全体で意志的なDNA保存の行動があるわけではない。動物は生命維持や自己複製するがそれは意識的な判断や選択ではなく、存在の持続が『善・正』とする価値観すら人間的な感情と観察に依拠する。自然は生存・生殖の成否の結果をただ静かに積み重ねる。

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除夜の鐘がうるさいとのクレームで中止になる現代日本:社会共同体の季節・行事の共有の薄れ

除夜の鐘がクレームで生活騒音と見なされ中止に追い込まれるのはおかしな話だが、寺の鐘と3mしか離れていない住宅の立地も特殊で、精神状態によっては耐え難いかもしれない。

除夜の鐘も花火もダメ! 日本の風物詩が「生活騒音」とされ中止に追い込まれる時代

年齢や健康状態にもよるが、大晦日は早めに寝て、除夜の鐘が鳴る時間から初詣にでも出かけるのも良い気がする。寺が除夜の鐘を突きたければ、その日だけ近隣のホテル代を負担して泊まって貰うの代替策もあると思うが、条件を受け入れるか分からないし、寺もそこまでして年中行事を続けたくなかったのかもしれない。

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子供全体から見れば『虐待死』は極めて少ないが、現代人の理想は高い:情状酌量が減り犯罪が厳しく叩かれる現代

今、一年間に生まれる子供数は約100万人、認知される虐待数は増加しているが、虐待死71人は比率的には少ない。0歳時の生後すぐの遺棄致死は未成年の混乱が多く、知識と判断力があれば中絶件数に入る。

虐待死の子ども、0歳児が初めて6割超える 14年度

虐待死や望まない出産がゼロに近づくことは理想だが、子供の1000万人以上の母数で71人の殺害は、比率的には『99.9%の親は子供を殺しはしない』ことの裏付けでもある。虐待死ゼロは、日本で虐待・嬰児の殺害が多かった戦後の混乱期だけでなく、諸外国を含め達成された事がないが、人の個人差・不完全さでもある。

現代で犯罪や子殺しへの世間的な非難が極めて激しくなった背景には、『絶対的貧困がほぼなくなったこと(親が生きるために子を間引きせざるを得ない事情が考えにくい)』と『妊娠・避妊・善悪・養育責任などの知識がない人がほぼいなくなったこと(知っていて責任感があれば不幸な結果を概ね避けられる)』があるだろう。

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道徳の教科化と極限状況でも他者を思いやり生き抜く力:センシティブな人の生きづらさと人間の矜持

道徳の教科化は『全体主義・価値の統制』が問題視されやすいが、この記事の内容だと『自他の意見の折り合い(人の意見も聴く)・価値観の多様性』が重視され、内面の安易な数値化も避けられている。

教科化の道徳、数値でなく記述式で評価 専門家会議了承

儒教道徳(身分区別)や天皇制、国民主義、ムラ社会の同調で庶民を従順に洗脳できた時代には戻れない。現代における人の踏み行うべき道としての道徳の中心規範は『他者危害原則』と『共感と協力・話し合いと自他尊重の重視』になってくるが、現代人が道を踏み外す原因となる『孤立・貧窮・怨恨』は10代での実感は難しい。

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相模原市の障害者殺人事件:知的障害者(重複障害者)を差別しやすい感情と殺すことは違う。“綺麗事の倫理・福祉”を排除すれば社会は成り立たない。

相模原市の知的障害者施設『津久井やまゆり園』で19人を殺害した植松聖容疑者(26)は、『個人的な怨恨・嫌悪・挫折・大麻(精神異常)』を引き金にして、『障害者排除(安楽死・虐殺)の思想』に染まった挙句に、戦後最悪の残忍な大量殺人を起こした。

mixiをはじめとするウェブでは『事件自体の強い批判・容疑者の徹底的な否定』も多いが、『容疑者の障害者差別思想に対する侃々諤々の議論』もいくつか行われており、その中には『重複障害者の悲惨な現実と接したことがなく、介助したことのない人が理想論を語る』といったような意見もある。

この事件に対する意見・感想を読んでいると『自分も含めた一般大衆の潜在的な障害者の差別(区別)+極端に知性や自我の能力が低い人に対する敬遠と心の壁』というのはやはりかなり根深いものだと思わざるを得ないのであった。

それはどんなに道徳的・社会的に正しいことを言っていても、実際の行動や発言としては障害者を差別せず目の前にいれば笑顔で支援するとしても、重度の知的障害の人に対して『私たちとは違う世界の人であるという意識』を完全になくすことは不可能であるか至難であるということだ。

かつて知的障害は『知恵遅れ(精神遅滞)・白痴』と呼ばれてかなり激しい偏見・差別に晒されたが、人間の知性・言語能力というのは他者から見たその人の『尊厳・侮りがたさ』と分かちがたく結びついている。知性・言語を失えば、人間はどうしても自律性・判断力がないがために軽んじられてしまうこと(健常者と同等の尊厳や立場にあるとは認めてもらえないこと)を避けられない。

『社会・経済・人の役に立たなさそうな弱者をコスト(無意味)として叩く風潮』にのっかった障害者差別のポジションを、『本音の暴露(綺麗事をいうな)』として語る人が結構多いことにも慄然とさせられる。

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