原発事故被災の子供のいじめ問題、 日本の弱者批判・寄付文化の弱さ・自己責任の価値観にあるものは何か?

原発事故避難先でいじめや差別が62%のニュース。日本は生活保護バッシングや旧同和問題・在日韓国人ヘイトもそうだが『社会的弱者・困窮者・旧被差別者・犯罪被害(特に賠償請求者・公的救済者)に対する同情・支援・寄付』は一般に薄く感じる。被害・病気・障害の直後は同情するが『長期化・金銭補償』では冷淡さが出る。

いわゆる弱者利権の現実と妄想の問題だが、端的には日本社会や日本人の価値判断では『弱者利権に対する妄想的なやっかみ(相対弱者の方が得)・非難(社会的負担への不満)』も少なからず含まれる。原発事故でも長期化や金銭補償を嫌う層やそれまで原発で雇用されていた人(誘致・許諾した行政)は自業自得の類の批判もある。

中流崩壊によって健康で仕事があってもかつかつの生活をしている人が増えた影響もあり、『弱者の装いをして不当な利得を得ているのではないか』『みんなそれなりに厳しい生活をしているのに(もしかしたら自分よりマシな経済・家庭の状況では)』といった妄想も含めた不満・疑惑・(リソース配分の)競合意識の膨張もある。

日本は民間・個人の寄付に依拠したフィランソロフィ(慈善事業・民間の財団)が発展した歴史を殆ど持たないが、それは裏返せば階級意識を残しながらも昭和後期にほどほどの平等社会(多くが自立した中流意識をもてる社会)が成立した証でもあった。他者に経済生活を助けてもらう事を嫌う見栄と恥の文化も当然あったにせよ。

日本で大規模な募集が成功した寄付といえば、見返りの商品・サービスが明確な『ふるさと納税』くらいかもしれない。なぜかシングルマザー(経済困窮家庭)の子や孤児の本人が訴えている進学支援の寄付、あるいは公的な学費無償化策(給付型奨学金拡充)でも『甘やかすな・境遇も自己責任』というような意見は結構多い。

寄付を募集したい側も『寄付された金銭の使途』にはかなりセンシティブにならざるを得ない部分もあり、寄付を懐疑する人からすれば『スタッフの人件費』が県の最低賃金を少しでも上回っていたりすれば『不当利得』になるし、『わずかでも本来の目的以外の付随的利得』があれば寄付金流用・善意の悪用で許せないとなるだろう。

個人の寄付が少ない代わりに政府・自治体の社会保障・教育支援が手厚いかといったらそうではない部分もあるが、日本では長く『企業福祉』が日本人の一般庶民の生活の安定を担ってきた。前提として資産・家業・親族の互助がある人でなければ企業福祉から外れれば相対的貧困になりやすい構造は常にあり自己責任の圧も強かった。

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