「女性」タグアーカイブ

恋愛結婚を罪悪視して“石打ち刑”を科す事件。パキスタンやアフガニスタンなどイスラーム圏の一部における女性に対する過度の抑圧

先進国でさえ男女平等、女性の権利・自由の歴史は短く不完全だが、パキスタンやアフガン等の一部地域の『名誉殺人』は女性を家・男の所有物と見なす慣習や男権社会の抑圧、原理主義の狂信が関係か。

恋愛結婚許さず、父親らが石投げ女性を殺す パキスタン

イスラームだけでなくキリスト教やユダヤ教も『男権主義・父性原理の宗教』であり、リベラルな男女平等思想や女性の性的な意思決定とは相性が悪いところがあるが、イスラームはキリスト教のように世俗化してないので、『政教一致・生活規範の拘束力(敬虔さ・保守性)』が『不服従な女性への暴力』に転換する危険性は高い。

女性を『家・男の所有物(財物)のように見なす』というと、現代では女性個人の思想信条・行動の自由を認めない奴隷制度を彷彿させるような暗鬱な観念だが、見方を変えれば『所有する代わりの保護・庇護』が強い家父長制の家族システムの事である。前近代には自由な個人の意識そのものが希薄ではあった。

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“異性の性格・外見の好み”とその効果的な伝え方:自分らしい個性とかみんなが気に入る個性とか

異性の性格や趣味は『陽性-陰性・理性-感情・インドア-アウトドア・読書人-非読書人』など大まかな相性を左右する部分はあるが、『自分に好意的に接してくれる』だけで概ね+にはなる。

飲み会で盛り上がること間違いなし!女子が好きなメンズのタイプ「細マッチョ+ロールキャベツ男子」

『好きな異性のタイプは?』の質問は、相手を突き放したり興味を無くさせたいのであれば、『美人・イケメンの芸能人の具体名』でも上げて、外見や容姿は妥協できないほうですとでもいっておけば、『あちら(自分とは関わりのないほう)の住人』という認識にはなるかもしれない。

『性格の良い人・優しい人・面白い人・価値観が合う人』とかいうのは無難過ぎて面白みはないが、基本的には『自分のストライクゾーンの広さ・性格や好みの寛容さ=今向き合っている相手の可能性』を示唆して相手を突き放さないマナーに適った答えではある。

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男性が女性に抱きがちな『幻想』:幻想と現実の境界で関係を築いたり維持したりする男女

恋愛も性愛も結婚も『幻想』から始まることは多いが、現代では女姉妹や女の親戚が減ったり男の一人っ子も増えた事から、『同世代の女性に対する過度の幻想・期待』を持つ比率が上がっている面もあるのかも。

男が女に抱きがちな幻想 -「小食」「ムダ毛がない」「鼻くそをほじらない」

男が女に抱く幻想は男にとって望ましい女性らしさ(性別役割規範)というジェンダーの源泉になりやすいがそれは女が男に抱く幻想も同じ。料理・掃除などにまつわる女性への幻想が強いと世話を望む男の面倒臭さはあるが結婚が早かったり。相手に特別な役割を望む事や独占欲が弱い人は自分も求められたくない傾向を持つもの。

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ドン・ヘラルドやマリリン・マンローの名言(アフォリズム)と雑感

If I had my life to live over, I would try to make more mistakes. I would relax. I would be siller than I have on this trip.

Don Herold

私がもう一度人生を生きられるとしたら、今よりももっとミスをしようとする。リラックスして、今回の人生の旅よりもっと構えずにバカになりたいね。

ドン・ヘラルド
(ロバート・ハリス『アフォリズム』より引用)

『もう一度人生をやり直せたらどうしたいか?』という問いには、『もっとしっかり勉強しておけば良かった・もっと進学や就職を真剣に考えるべきだった・あの時にミスやバカをしないようにすべきだった』というような“今よりもストイックな生き方”を求める答えや後悔が多かったりする。

アメリカの作家のドン・ヘラルドは、64歳の時に書いたエッセイ『もっとたくさんのデイジーを摘もう』で、『想像上のリスク・トラブル・失敗に怯えた人生の損失』を大きく見積もって、『もう一度生きられたら今度はもっとバカになって考え過ぎずにやりたいことをどんどん迷わずにやる』というもっと楽しみたかったの心情(それなりに自由奔放に生きた人物だったにも関わらず)を吐露しているのが面白い。

準備したり用意したり積み上げたりといったプロセスは、一般に備えあれば憂いなしにつながる有効なプロセスではあるが、『想像上のリスクや妄想的な不安感の回避(完全な防御)』のためだけの“遊び心・自由度・チャレンジの欠落し過ぎた人生”にならないようにすることもまた『自分の人生』を生きる上で大切である。

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小室哲哉と華原朋美の共演:プロデューサー小室哲哉の男女関係のリスクと小室・華原の危機からの回復

小室哲哉は『小室ファミリー』を売り出すプロデューサーとして一世を風靡したが、モー娘のつんく♂やAKB48の秋元康と異なる点として『自分が売り出している女性アーティスト』に連続して手を出したり別れたりを繰り返した、特に小室を半ば崇拝するような形で狂信的な恋愛をしていた華原朋美との別れ方が下手だった(シンデレラストーリーで舞い上がらせた相手を突如切り捨て、精神病に近い状態にまで傷つけて追い込んだという風に見られた)という部分でのマイナスイメージは強かったように思う。

小室哲哉、華原朋美と共演の真相を明かす「ケジメです」

小室哲哉の女性関係は『小室ファミリー』という内輪に閉じ過ぎており、その外部の女との親密な関係が噂されたことが殆どなく、見ず知らずの女にナンパすることなどはしそうにないシャイな小室の性格もあってか、『予め自分への好意・尊敬・力関係が明らかである(まず断られるリスクのない)ファミリーの女性以外の女性』には行かなかったのかもしれない。

小室がプロデューサーとしてヒットした後の女性関係は、華原朋美にせよ、結婚したdosの吉田麻美やglobeのKeikoにせよ、『先生を尊敬している教え子・上司を尊敬している部下・先輩に好意を持っている後輩』のような関係にある女性であり、小室にとってはアプローチしやすい相手ではあっただろうが、仕事上のリスクや手がけているアーティスト同士の諍いの恐れがあるものでもあった。

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“男が要らないと思う女が増える平和な時代”と“ジェンダーの差異が曖昧化する男女”:2

人間社会の歴史的推移を見渡せば、戦乱が多くて貧しい時代(理屈・正論を言っていられない力と勝ち負けの時代)には『男性原理』が強まり、平和が続いて豊かな時代(理屈・正論が検証されやすい知と倫理の時代)には『女性原理』が強まる傾向がある。古代ローマ帝国でもその成熟期には女性原理が強まって少子化が進んだという記録があるが、女性の発言力や自由意思、稼得能力が強まると『性別役割としての出産・育児の義務』が弱まるので、一般に男性社会よりも出生率は低く推移しやすい。

『広義の暴力(戦争)・暴言』が法律と倫理、自尊心で禁圧される現代という特殊な時代環境においては、他者を暴力あるいは実力で打ち倒そうとしたり、勇ましい自分を誇示したりする『男性性・男らしさ』を発揮できる場面は、経済競争や見せかけの肉体(筋力)に限られてくる。

そのため、男性主義的な過去の共同体原理や男女の役割分担に郷愁を寄せる人たちは、常に『戦うべき外敵の存在や侵略の危機(女子供を守る男らしさとしての腕力を発揮できる場)』を求め続けていたりもするが、これは裏返して考えれば『物理的な暴力の危険性』が十分に低ければ、伝統的な男性ジェンダーの中核にあった勇ましさ・逞しさ(いざという時の暴力による防衛)の必要性も弱まってしまうことを意味する。

暴力(武力)によってしか解決や防衛ができない種類の問題がなくなれば、男性原理は女性原理にその場を譲る他はなくなるし、『男らしさに特有とされてきた正義・防衛のための暴力(これも自分・自民族以外の男の暴力であって男同士の争いになりがちだが)』を専売特許とするような政策や文化、価値観の形成も難しくなっていくだろう。

暴力・武力が時に正義や武徳として賞賛されてきたのは、『自分たち以外の不当な暴力・武力の存在』を想定することができるからであり、軍事力強化の必要性を情緒的に説く文句には『外国から侵略されると自国の女性が性的に蹂躙されてしまう』といった外部の男の暴力性・強姦性をことさらに強調するものも多い。どう間違っても、『外国から侵略されると自国の男性が性的に蹂躙されてしまう(労働力として奴隷化されるなどの主張はあるが)』といった文句にはならないところが、本質的な男女のジェンダーの差異というか教育・文明・倫理によって制御されている『潜在的な男性の暴力性(性の衝動性)』を暗示しているのだろう。

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