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“男が要らないと思う女が増える平和な時代”と“ジェンダーの差異が曖昧化する男女”:1

福岡伸一氏の『できそこないの男たち』では、生物学的に見た男性(オス)は、女性(メス)をベースとする個体に対して、『遺伝子情報の複雑性(環境変化に対する生存適応度の上昇率)』を与える触媒に過ぎない事を看破していたが、ヒトの男女関係は『恋愛(性と文化)・結婚(制度と育児)・経済(扶養)・権力(暴力)』が絡むことで非常に個別的で複雑な様相を呈することになった。

生命進化の歴史としては、『無性生殖』の段階ではメスの遺伝子情報の単純なコピーのみによって自己を複製していた生物が、メスの基本フレームからオスという別の性を分岐させて『有性生殖』ができるようになり、『環境変化に対する適応能力(遺伝子情報の多様性・選択性・突然変異率)』を格段に高めることになった。

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しかし、生命の基本フレームはメスの身体構造に起源があり、人間も受精卵からの生命の発生・細胞分裂のプロセスでは『女性的な身体構造』が先に形成されて、そこに男性ホルモンが作用することで『男性的な身体構造』へと分化していく。そのため、変異体であるオスは一般に基本型であるメスよりも平均寿命が短くて病気に対する抵抗力も低い、特に発生プロセスでの負荷や免疫能に対する影響がある乳幼児期には男の子ほうが病気に罹りやすい。

昆虫のような単純な構造の生物になればなるほど、メスはオスよりも優位な地位・立場を持っていることが多いが、これは『遺伝子多様性を増すための役割』という生物学的なオスの意味づけがより直接的であるためだ。カマキリのオスは交尾後に、メスの産卵のエネルギー源となるために自らの身体を食料として差し出して儚い一生を終えるが、食べられないにしても虫には授精後にオスが(メスも)死んでしまう種がいて、これは『育児の不要性(人間的視点からの親子関係の不在)』という昆虫の生態に見合ったものなのだろう。

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『池袋出会いカフェ女子大生事件』と映画『悪人』との類似性から考えたこと。

『店舗型の出会い系』として機能するカフェで知り合った22歳の女性を、29歳の住所不定無職の男性(被告人)が殺害したという事件。加害者の男が被害者の女性を『自己防衛による興奮・錯乱の心理』から殺害するに至った状況が、妻夫木聡・深津絵里が主演した映画『悪人』で、妻夫木演じる肉体労働者の青年が、満島ひかり演じるOLの女を殺害するという状況に類似していたので、現代の風俗や性愛、人間模様も参照しながら少し書いてみよう。

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池袋出会いカフェの事件も映画『悪人』の事件も、結果として殺人犯となってしまった男性は強い孤独感や疎外感、無力感という『劣等コンプレックス』を抱えてはいるが、普段から重犯罪や粗暴行為を躊躇いなく繰り返しているようなチンピラ・極悪人の類ではないということ(暴行・殺人・強盗などの前科もないということ)がまずある。

どちらかというと、生きることに対して平均的な人よりもかなり不器用な男であり、仕事が上手くいっておらずカネや影響力、コミュニケーション力がない。

普通に生活していても女性との出会いがなく、話しても特別に好かれるタイプでもないという意味で、悪人ではないが『他者からの承認欲求・女性からの愛情や肯定』に心から飢えていて、それらを得るためには下手にでて卑屈になっても『一時のおしゃべり・性行為』のためにお金を支払っても良い(相手が演技であっても自分に優しく明るく接してくれればそれでもある程度満足できる)と考えているような人物。

こう書くと悲惨な感じにはなってくるが、現代社会ではそれほど珍しくもないコミュニケーションスキルや社会経済的能力に自信を持ちづらい性格・生き方の一類型ではあり、性風俗産業の大半のニーズはそういったメンタリティを持つ中高年男性によって満たされているともいう。

また、こういった風俗・出会いカフェを利用する男性の中には、『直接の性行為(感覚的な快楽)』よりも『心理的なふれあい(自分を認めて好意的に接してくれるコミュニケーション)』のほうに大きな価値を感じている人も多いとされ、飲み屋よりも親近感・体温を感じやすい擬似恋愛に対して納得した高額の対価を支払っているようである。

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公共交通機関(電車・バス)でのベビーカーの利用と『ベビーカー優先マーク』

赤ちゃんや幼児の年齢にもよるが、誰であっても一人だけで『自分で身動きできない0~1歳頃の赤ちゃん』や『次の行動が予測しづらい(十分に言葉の指示が通用するとは限らない)1~3歳頃の幼児』を連れて外で行動するのは不安だし大変なものである。

電車・バスに小さな赤ちゃんを連れて乗るというだけで、力のある男性でも少しげんなりするというか、混み合っている状況では一人だけでスピーディーにベビーカーを移動させたり折りたたんだりすることはしづらいだろう。ベビーカーを折りたたんだり開いたりの動作がもたついたり、子どもの安全確保に不安を感じたりすることもあるだろうし、周囲に迷惑をかけてはいけないということが気になって余計に動作がぎこちなくなる場合もある。

そもそも赤ちゃんがまだ小さくて自分で安定して立てない年齢なら、赤ちゃんを抱っこしながらベビーカーを折りたたむということになるから、相当な腕力がなければ男性でも難しいし、押し合うような感じで車内が混み合っている状態だと、物理的に抱っこ・おんぶなどはできないのではないだろうか。

道具を使わず自分の腕だけで抱っこしたまま電車に何十分間も立って乗り続けるのは困難だから(腕の力が足りなくなって落としたりのリスクもあるから)、基本的にはベビーカーに乗せたままのほうが安心・安全だということになる。ベビーカーを使わずに抱っこしなければならない状況なら、母親(父親)が座席に座って膝の上で抱えないと危ない感じはするが。抱っこ紐のようなものとベビーカーを併用して、素早く体勢(持ち方)を切り替えられる人なら良いが、都心部の渋滞状況ではホームでも身体を自由に動かせるスペースが狭い可能性もある。

『極端な混雑が生じる時間帯(朝夕の通勤・帰宅ラッシュ)』にはベビーカー持参(小さな乳幼児連れ)で乗るのは子供の安全確保のために控えたほうが良いというか、保護者自身が通常はそういった時間帯には自分のほうが乗りたくない(スムーズかつ安全に子供を乗り降りさせる自信がない)と思うものだろう。

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映画『ファインド・アウト』の感想

総合評価 77点/100点

侵入された男に拉致されて森林公園の奥地にある穴に監禁されたジル(アマンダ・セイフライド)は、何とか自力でその穴を抜け出して凍死寸前のボロボロの状態で保護された。だが、ジルには重症の精神病での入院履歴があり、『作話(エピソードの創作)』の虚言癖があったため、警察は女性連続誘拐犯に拉致・監禁されたというジルの証言を『虚言』と決め付けて信用せず、精神病の影響による自主的な失踪事件として片付けてしまった。

家族が突然行方不明になっても警察が動いてくれないという事例は日本でも相当に多い。犯罪行為に巻き込まれたという客観的な物証・目撃証言がなければ、成人の行方不明は『本人の意思による蒸発・失踪(連絡不能な状態)』として片付けられ、危険人物による拉致監禁であれば人知れず生命を奪われている恐れも高い。

アメリカの年間の行方不明者数(missing persons)は約70万人で、約8~9万人の日本の9倍近いアメリカ人が毎年原因不明の失踪・蒸発をしているが、その全てを捜索する余裕が警察にあるはずもなく、失踪した本人が自分で帰ってくるケースも多いが、十年以上にわたって音信不通の状態が続き生死が不明のままで終わってしまうこともある。

アメリカでは、今年も、近隣で誘拐された複数の女性が約10年間にわたって、容疑者の男によって住宅街の中で孤立した民家(空家のように見られていた釘打ちされた民家)に監禁された事件が明るみになったりもしたが、地域コミュニティの衰退によってこの種の偏執的で悲惨な事件は少なからず発生している。日本でも新潟少女監禁事件のように、母親と同居する一軒家でひきこもり状態にあった中年男性が、誘拐した女児を10年近く監禁したという信じられない不気味な事件もあった。

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橋下徹市長の“本音ぶっちゃけ外交戦術”は世界(米国)に通用するか?:2

前回の記事の続きになります。『日本の従軍慰安婦問題』を『世界各国の戦時の女性の権利・尊厳の侵害の問題』にアクロバティックに置き換えて、議題の中心的なフォーカスを『戦場(軍隊)と性の問題』に合わせ直している。このすべての国々が女性の権利・尊厳を守らなければならないという普遍的な権利感覚や問題意識は正しいとしても、同じ会見の中で過去の謝罪をしながら、『日本も悪かったですが、あなたたちも同じ穴の狢ですからお忘れなく』と釘を指すような牽制をするのは、やや結果を欲張りすぎな観はある。

橋下徹市長は頻繁に公人(政治家・役人)であればおよそ口に出さない『大衆的な本音・俗情』をぶっちゃけてみて相手の反応を伺うという話術を好んでいるが、駐日米軍に対する『合法的な性風俗業を活用してはどうか(米兵だって性的な欲求不満の対処法で困ってるんだろう、女がいない男だけの集団ってのはそういうもんだ)』というぶっちゃけトークは、公人としての態度を保った米軍司令官からは冷たくあしらわれ、米軍では売買春は禁止されているからとあっさり断られた。

橋下市長は日本における合法的な風俗を違法な売買春と誤解されたというニュアンスで話していたが、『米軍司令官の問題意識・対話のやり取りの重点』はそんなところにはなく、『下世話なぶっちゃけトーク』に合わせるつもりはないということであり、『建前の公人としての判断・遵法意識』を貫くだけということである。

橋下市長のぶっちゃけ外交戦術の目論見は、『本音と本音のトーク』で冗談でも交えながら語り合うことで『同じ穴の狢としての妥協点・相互理解』を引き出すというようなものであるが、それは大衆や素人の有権者には通用しても(あいつは着飾ってなくて本音を語るので親しみやすいなどと思われても)、国際的な会談・会見の場では相手がそこまで砕けた俗物の本音をさらけ出してくる可能性は低く、『建前としての倫理・常識』によって厳しい非難を受ける恐れがある。

日本外国特派員協会で行った記者会見で、橋下徹市長が見せた『ぶっちゃけトーク』は、世界の国々がタブーとしている『戦場(軍隊)と性の問題やその歴史』を真摯に取り上げるものであった点は評価できる部分があると思う。

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橋下徹市長の“本音ぶっちゃけ外交戦術”は世界(米国)に通用するか?:1

橋下徹大阪市長が日本外国特派員協会で行った記者会見は、『旧日本軍の従軍慰安婦制度が女性の人権侵害であったことに対する反省と謝罪』をしつつ、『旧日本の政府・軍が朝鮮人慰安婦を強制連行したという直接の公文書・証拠はでてきていない(更なる歴史家の検証研究を要する)』という釈明をするものであった。

しかし、欧米諸国をはじめ世界の大多数のメディアは、『過去の日本の政府・軍が従軍慰安婦を直接的に強制連行したのか否か、間接的に民間業者に外注したのか否か』といった日本と韓国の間だけで争点になっているリージョナルな問題には興味がない。日本が国家として従軍慰安婦の女性個人に損害賠償すべき責任があるか否かの問題は、『女性の権利・尊厳,現代の有力政治家の歴史評価に関わる問題』ではなくて『日本と韓国の間の歴史問題の清算のあり方に関わる問題』だからである。

軍から委託された女衒・娼館の民間業者が、『甘言・詐略・脅迫』を用いて貧しい家の女性(借金の片の女性)や専業の娼婦を従軍慰安婦として集め、その女性たちを戦場の慰安所に軍部の車両を用いて移送し、移送先の慰安所では嫌でも辞める自由がなく性的行為をするしかなかったのであれば、旧日本・軍は国家として関与しておらず責任がない(勝手に民間業者が戦場に娼婦を大量に連れ込んできただけだ)などの論調は通用するはずがない。

欧米のマジョリティの意識は、『戦時中に日本兵の性的慰安を目的として、必ずしも自由意思によってその仕事を選択した女性ばかりではない女性(強制的に性的慰安をさせられる女性)が、娼婦として戦場にある慰安所施設に集められ、組織的に管理されながら性行為をさせられていた』のであれば、実質的な人身売買であり組織的・制度的な従軍慰安婦であるとしか言い様がないというものである。

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