「ジェンダー」タグアーカイブ

“婚姻・家族・親子”と“法律”の関係:憲法原則1:同性婚・生殖医療からの視点

嫡出子と非嫡出子の相続比率に格差を認める民法の規定は違憲であるとの最高裁の判断が示されたことで、本来伝統的な家族形態や法律婚の規範性を支持していた自民党の保守派も、民法改正に着手せざるを得なくなった。

『法律婚の事実婚に対する各種の優位性』をどこまでフラット化すべきかは、特に『配偶者扶養・税制や控除・財産権や相続権』などにおいて今後の婚姻率低下の要因とも絡む大きな問題になるが、『生まれてくる子の自らの行為に拠らない不利益・不平等』になる法的な強制は難しくなる方向性にあるのだろう。

新たな親子関係、立法措置で対応検討 自民法務部会

人はなぜ結婚するのかの理由は、近代的な恋愛イデオロギー以前から貴族階級を中心とした婚姻制度があったように、ただお互いが好きだから結婚するというよりも先に、婚姻には『生活の維持と子の育児に対する強制的な協力義務』と『家系の地位と財産の継承者の明確化(法的な配偶者以外の他の異性との競合の排除)』の意味合いが強くあった。

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『他人の嫌がること+他人にさせたいこと・社会共通の目的(同調圧力)』とハラスメント概念の拡大が意味する変化

結婚や子供、恋愛などプライベートにまつわる繰り返しの質問やジェンダーの性別役割の強調・推奨もセクハラ(セクシュアル・ハラスメント)に該当するというニュースを受け、『何でもかんでもハラスメント(不当な嫌がらせ)にしてしまうと社内でのコミュニケーションができなくなる』や『嫌なことを言うことによってその人にその行動を間接的に強制することでかつては慣習的な規範が保たれていた(嫌なこと=ハラスメントなら他人の行動を社会通念や共通の目的に合わせて左右できなくなる)』などの意見が見られた。

男のくせに・結婚まだ?…同性間でもセクハラに

他人の嫌がることを言ったりしたりしない、相手の同意なく相手に深く干渉しない(自分は自分、他人は他人の境界線をしっかり引く)というのは、現代の中心的な価値観だが、こういった『他者への不干渉・自律性による自己選択(自己責任)』という欧米流の豊かさに裏付けられた個人主義は日本の伝統にはなかったものである。

そのため、『他人の同意なく嫌がることをしてはいけない(広義のハラスメントの禁止)』という規範は、日本の歴史や家族、伝統社会(村落共同体)では殆ど重んじられては来なかったし、そもそも『個人としての他人(共同体と区分される物理的・内面的なプライバシー領域を持つ個人)』が日本の歴史で出現してきたのは戦後になって暫くしてからの話である。

昭和中期、田舎から都会への人口移動は、産業構造の転換によるものではあったが、伝統社会の維持と反復に個人の人生全体が包摂される田舎(前近代)から、『個人で構成される選択の余地がある都会』への憧れに突き動かされたものでもあった。

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“男が要らないと思う女が増える平和な時代”と“ジェンダーの差異が曖昧化する男女”:2

人間社会の歴史的推移を見渡せば、戦乱が多くて貧しい時代(理屈・正論を言っていられない力と勝ち負けの時代)には『男性原理』が強まり、平和が続いて豊かな時代(理屈・正論が検証されやすい知と倫理の時代)には『女性原理』が強まる傾向がある。古代ローマ帝国でもその成熟期には女性原理が強まって少子化が進んだという記録があるが、女性の発言力や自由意思、稼得能力が強まると『性別役割としての出産・育児の義務』が弱まるので、一般に男性社会よりも出生率は低く推移しやすい。

『広義の暴力(戦争)・暴言』が法律と倫理、自尊心で禁圧される現代という特殊な時代環境においては、他者を暴力あるいは実力で打ち倒そうとしたり、勇ましい自分を誇示したりする『男性性・男らしさ』を発揮できる場面は、経済競争や見せかけの肉体(筋力)に限られてくる。

そのため、男性主義的な過去の共同体原理や男女の役割分担に郷愁を寄せる人たちは、常に『戦うべき外敵の存在や侵略の危機(女子供を守る男らしさとしての腕力を発揮できる場)』を求め続けていたりもするが、これは裏返して考えれば『物理的な暴力の危険性』が十分に低ければ、伝統的な男性ジェンダーの中核にあった勇ましさ・逞しさ(いざという時の暴力による防衛)の必要性も弱まってしまうことを意味する。

暴力(武力)によってしか解決や防衛ができない種類の問題がなくなれば、男性原理は女性原理にその場を譲る他はなくなるし、『男らしさに特有とされてきた正義・防衛のための暴力(これも自分・自民族以外の男の暴力であって男同士の争いになりがちだが)』を専売特許とするような政策や文化、価値観の形成も難しくなっていくだろう。

暴力・武力が時に正義や武徳として賞賛されてきたのは、『自分たち以外の不当な暴力・武力の存在』を想定することができるからであり、軍事力強化の必要性を情緒的に説く文句には『外国から侵略されると自国の女性が性的に蹂躙されてしまう』といった外部の男の暴力性・強姦性をことさらに強調するものも多い。どう間違っても、『外国から侵略されると自国の男性が性的に蹂躙されてしまう(労働力として奴隷化されるなどの主張はあるが)』といった文句にはならないところが、本質的な男女のジェンダーの差異というか教育・文明・倫理によって制御されている『潜在的な男性の暴力性(性の衝動性)』を暗示しているのだろう。

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“男が要らないと思う女が増える平和な時代”と“ジェンダーの差異が曖昧化する男女”:1

福岡伸一氏の『できそこないの男たち』では、生物学的に見た男性(オス)は、女性(メス)をベースとする個体に対して、『遺伝子情報の複雑性(環境変化に対する生存適応度の上昇率)』を与える触媒に過ぎない事を看破していたが、ヒトの男女関係は『恋愛(性と文化)・結婚(制度と育児)・経済(扶養)・権力(暴力)』が絡むことで非常に個別的で複雑な様相を呈することになった。

生命進化の歴史としては、『無性生殖』の段階ではメスの遺伝子情報の単純なコピーのみによって自己を複製していた生物が、メスの基本フレームからオスという別の性を分岐させて『有性生殖』ができるようになり、『環境変化に対する適応能力(遺伝子情報の多様性・選択性・突然変異率)』を格段に高めることになった。

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しかし、生命の基本フレームはメスの身体構造に起源があり、人間も受精卵からの生命の発生・細胞分裂のプロセスでは『女性的な身体構造』が先に形成されて、そこに男性ホルモンが作用することで『男性的な身体構造』へと分化していく。そのため、変異体であるオスは一般に基本型であるメスよりも平均寿命が短くて病気に対する抵抗力も低い、特に発生プロセスでの負荷や免疫能に対する影響がある乳幼児期には男の子ほうが病気に罹りやすい。

昆虫のような単純な構造の生物になればなるほど、メスはオスよりも優位な地位・立場を持っていることが多いが、これは『遺伝子多様性を増すための役割』という生物学的なオスの意味づけがより直接的であるためだ。カマキリのオスは交尾後に、メスの産卵のエネルギー源となるために自らの身体を食料として差し出して儚い一生を終えるが、食べられないにしても虫には授精後にオスが(メスも)死んでしまう種がいて、これは『育児の不要性(人間的視点からの親子関係の不在)』という昆虫の生態に見合ったものなのだろう。

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世界経済フォーラムによると日本の男女平等度は“105位(3年連続低下)”だが、

今回8回目の『国際男女格差レポート』は政治活動・経済活動(労働)への参加率を指標化したもので、厳密な男女の社会的格差や幸福感の格差(希望する生活状況の達成率)とは相関していない点には注意が必要かもしれない。

要するに、安倍晋三首相が『2020年までに社会のあらゆる分野において、指導的地位に女性が占める割合を少なくとも30%以上にしたい』と語った女性の社会的地位向上の政策目標のように、こういった大上段に構えた欧米基準の政治的目標は『その国で生活する女性の実際の希望・目標』と合致していないことも多い。

男女平等指数、日本3年連続低下の105位 世界経済フォーラム

特に日本では、一般の女性に『職業的地位の上昇(大企業のCEOや経営陣に参画したい)・政治的権力の獲得(国会議員や閣僚になりたい)・フルタイム労働のキャリア獲得や専門家としての役割』などをエネルギッシュに実現することを人生の優先的な課題にしたいと考えている人は少なく、むしろ『自分と配偶者(家族)をセットにした自意識』で人生を捉えることのほうが多いという諸外国との違いが顕著である。

人並み以上の収入や仕事、地位に恵まれても、仕事の時間に追われる生き方が一番望ましいとは思えないという価値観は、女性全般ではそれほど珍しいものではないし、企業・職業分野の第一線で働いていたり独自の職能・資格を持っているような人材を除けば、女性にとって『終身のフルタイム労働(政治的経済的な地位の上昇)』というのは憧れの対象とはなっていない。

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橋下徹市長の“本音ぶっちゃけ外交戦術”は世界(米国)に通用するか?:2

前回の記事の続きになります。『日本の従軍慰安婦問題』を『世界各国の戦時の女性の権利・尊厳の侵害の問題』にアクロバティックに置き換えて、議題の中心的なフォーカスを『戦場(軍隊)と性の問題』に合わせ直している。このすべての国々が女性の権利・尊厳を守らなければならないという普遍的な権利感覚や問題意識は正しいとしても、同じ会見の中で過去の謝罪をしながら、『日本も悪かったですが、あなたたちも同じ穴の狢ですからお忘れなく』と釘を指すような牽制をするのは、やや結果を欲張りすぎな観はある。

橋下徹市長は頻繁に公人(政治家・役人)であればおよそ口に出さない『大衆的な本音・俗情』をぶっちゃけてみて相手の反応を伺うという話術を好んでいるが、駐日米軍に対する『合法的な性風俗業を活用してはどうか(米兵だって性的な欲求不満の対処法で困ってるんだろう、女がいない男だけの集団ってのはそういうもんだ)』というぶっちゃけトークは、公人としての態度を保った米軍司令官からは冷たくあしらわれ、米軍では売買春は禁止されているからとあっさり断られた。

橋下市長は日本における合法的な風俗を違法な売買春と誤解されたというニュアンスで話していたが、『米軍司令官の問題意識・対話のやり取りの重点』はそんなところにはなく、『下世話なぶっちゃけトーク』に合わせるつもりはないということであり、『建前の公人としての判断・遵法意識』を貫くだけということである。

橋下市長のぶっちゃけ外交戦術の目論見は、『本音と本音のトーク』で冗談でも交えながら語り合うことで『同じ穴の狢としての妥協点・相互理解』を引き出すというようなものであるが、それは大衆や素人の有権者には通用しても(あいつは着飾ってなくて本音を語るので親しみやすいなどと思われても)、国際的な会談・会見の場では相手がそこまで砕けた俗物の本音をさらけ出してくる可能性は低く、『建前としての倫理・常識』によって厳しい非難を受ける恐れがある。

日本外国特派員協会で行った記者会見で、橋下徹市長が見せた『ぶっちゃけトーク』は、世界の国々がタブーとしている『戦場(軍隊)と性の問題やその歴史』を真摯に取り上げるものであった点は評価できる部分があると思う。

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