『昭和の戦争』を生んだ“天皇の中空構造と軍部”3:右翼の君民一体と左翼の労働者救済の理想

一般庶民の貧しく惨めな生活を良くするために既存の腐敗堕落した政治体制を転覆させるという目標を掲げた左翼の共産党勢力も、心情的には農民・労働者の味方として右翼と似通った国家社会主義の革命理念を持ってはいたが、左翼は『天皇制・国民国家・私有財産の否定=共和主義と共産主義・ソ連コミンテルン指導下のインターナショナリズム(祖国を持たないプロレタリアートの国際的連帯による暴力革命)』を掲げていたので、1941年の『治安維持法』によって実質的に壊滅させられた。

日本は歴史的に君主を実力で排除する『市民革命』を経験したことがなく、フランス革命に発する『共和主義政体への憧れ』そのものが無かったこともあるが、天皇制を国体の本質として教育されてきた当時の日本人の多くは、『天皇と民衆の一体化(一君万民・君臣一体)』を理想的な国家の有機体的なあり方と見なす部族的な価値観を持っていた。

○『昭和の戦争』を生んだ“国民(庶民)の政治不信”2:血盟団事件(1932年)のテロの正義感・天皇崇拝

大日本帝国憲法において天皇は神聖にして侵すべからずと言われるように、天皇は『絶対無謬の存在(自分自身を持たない中空構造の存在)』であるため、天皇主権の日本国において悪政や誤謬が起こるとすればそれは『天皇自身』に問題があるのではなく、天皇の側近くで間違った政策や考え方を吹き込む『君側の奸(天皇権威を騙る不埒な重臣)』が悪いのだというロジックになり、政治を正すには側近を暗殺しろという『血盟団事件(1932年)・5.15事件(1932年)・2.26事件(1936年)のテロリズム』に流れたのである。

当時の国民のすべてが『国家主義・天皇崇拝・ナショナリズム』といった右翼思想に共感していたわけではないが、『テロリズムの嵐』が幾度も吹き荒れて命を惜しむ政治家は萎縮し、政党政治の民主主義体制は腐敗・非難と共にその機能を停止していった。1930年代末から、軍人が閣僚に占める割合(軍事費が国家予算に占める割合)が急速に高まり、言論・思想信条を厳しく統制する法律も成立して、『軍部と右翼勢力の結合』に反対することが現実的に困難になった。

血盟団の池袋正八郎は、天皇中心主義を復古させるための『昭和維新』を『大化の改新・明治維新』に続く決定的な国家改造の起点であるとして、君民一体の理想について以下のように語っている。天皇はその自分自身の主張を外在化させない『中空構造』の性質によって右翼勢力の正当化に用いられたりもしたが、天皇が『政党・自由思想』よりも『軍部・右翼思想』を支持しているという建前が固められたことで、国民の反論や批判はより困難になった。

『我が日本の歴史を見ますれば、我が国体の精華は君民一体というところにあると信じます。即ち、君民一体ということが我が国家の生命であり、建国の精神であると思います。而して、この君民一体なる国家の精華が十分に発揮せられし時は、国のよく治まれる時で、即ち国家生命の活発なる時であります。がしかし、ややもすれば君民の間に特権階級を生じ、上陛下を蔑ろにし奉り、下人民を虐げ、国家を私し、威福を逞しうして、遂に国家生命の衰退を招くに至りし時がありました。

而してかかる場合に君国を憂ふるの士が決起して、この君民の間に介在する特権階級を打倒し、再び君民一体を実現して建国の精神に帰り、天皇を擁護すると同時に民衆を救うたのであります。

私どもの如き地位もなく権力もなく財産も学問もないものが、君側を清めんとすれば、唯この直接行動(テロリズム)より外取るべき手段はないのであります。』

『特権階級』の私利私欲を徹底して憎みながら、私腹を肥やす政治家・経済人を抹殺しようとした血盟団から5.15、2.26までの右翼団体のテロリズムの流れで言えば、農民・労働者・兵士の困窮生活をバックアップする右翼は左翼的な『階級闘争の意識』を同時に持っていたとも言える。

『一君万民』というのも、すべての臣民を見守る天皇(君主)以外の人民は、上下・貧富のないすべて平等な存在であるという究極の平等主義の観念であり、昭和初期の右翼は現代の右翼のように『自由市場の競争の結果としての格差(経済人がカネで政治を動かす資本主義体制)』にはかなり否定的な勢力という違いもあった。

現在では国家主義(民族主義)や天皇主権(天皇制)、国体思想などに支えられた『右翼』と、共産主義や共和制(天皇制廃絶)、インターナショナリズム(労働者の国際的連帯)などに支えられた『左翼』の違いなどは、実際の政治や世論にほとんど影響を及ぼさなくなっている。

更に、現代の右翼のイメージは『一般庶民の貧困・困窮を救ったり格差の縮小をしたりという昭和期の目的意識』からは遠くなってしまっており、『社会福祉・財の再配分・格差縮小』などに熱心な庶民や弱者の味方を気取るのはどちらかというとリベラル左翼と呼ばれる勢力になっている。右翼は『排外主義・中国や朝鮮との対決姿勢・復古主義・憲法改正(軍備強化)』の部分だけが強調されるようになったこともあるし、『不正な特権階級・変わらない権力構造(政財界の権力者の顔合わせの固定化や世襲化)』をバッシングするといった行動も右翼にとって優先度の高いものではなくなっているだろう。

大東亜戦争が起こった最も根底的な内部要因は、『日本国民の一般大衆の生活水準と雇用が昭和恐慌(世界恐慌)で壊れたこと』と『天皇・国家のために戦って死ぬことに最大の価値がある(商売人のように金儲けをすることの価値は低い)という道徳教育を続けてきたこと』にあり、そこに中国・ソ連・アメリカ・ナチスドイツ・朝鮮半島などが関与する外部要因(既得権・防衛圏・軍部暴走の問題)が加わったことで、次第に戦争が不可避という意識に傾いていった。

国民生活破綻の不満の矛先が『私利私欲を肥やしていた癒着構造を持つ政財界の特権階級』に向けられ、形式的に民主主義を維持していた政党政治は段階的に機能を停止していった歴史の流れがそこにある。世論に支持された軍部(=腐敗した政治家の対抗軸)は政治に強く介入するようになり、関東軍は国会の承認を得ずに独断で満州事変(北支事変)を拡大させたが、遂に日本は国際連盟からも脱退してファシズムの枢軸国と軍事同盟を結んだ。

世界恐慌で経済的に困窮して政治に絶望した国民が、自ら政党政治の自由民主主義に見切りをつけ、強力な軍部の指導体制(自由統制と拡張主義)を支持していったという展開がそこにあるが、エーリッヒ・フロムの『自由からの逃走』の説明図式はある程度日本の戦争や国民心理にも当てはまる部分があるだろう。