学力上位(学力下位)の小中学校の校長の名前を公開すれば学力が上がるのか?

それが静岡県の川勝平太知事がやっている『校長の実名公表問題』の本質として認識されていなければならない。

校長名公表は「逸脱」、文科相が静岡知事を批判

自分が校長として教職員を管理・指導している学校の学力が全国平均に比べて極端に低かった場合、その原因・責任は『校長による教職員の管理方法・指導内容・成績向上にかける熱意』にあると言えるのだろうか。

これを実証するには成績上位校の校長と成績下位校の校長を一定期間以上にわたって入れ替えてみて(各教科の先生と授業のやり方はそのままにして)、テストの成績の推移を見てみなければわからないし、仮に4月に赴任してきたばかりの校長であれば、半年に満たない在職期間で『成績が低かった責任』を追及されてもどうしようもないだろう。

常識的に考えれば『校長の学校管理・熱心さ・指示伝達』以上に、『各教科を担当する先生たちの指導方法』や『授業を受ける生徒たちの向学心や精神状態・勉強への適性や態度・勉強しやすい学校環境(家庭環境)か否か』のほうが、学力の高低やテストの成績に与える影響は大きいはずである。

校長がしっかりとした学校運営や教員管理、生徒たちの現状認識をしていないのであれば、確かにそれは是正すべき問題であるとはいえるが、『テストの成績が悪いのは校長の職務怠慢であるとでもいうような因果関係の押し付け(校長名の公表による校長・学校の格付け)』は強引である。

自分が生徒だった時期を振り返っても、『県内の学校単位の平均成績の高低』などに頓着したことはなく、『自分自身の成績の高低(全国区・県内での位置づけ)』のほうに関心があった気がするが、学校単位の成績がどうこうというのを気にするのは、生徒本人というよりは教育熱心な親(保護者)くらいではないだろうか。

トップ層を伸ばす教育かボトムアップで平均値を上げる教育かによっても異なると思うが、校長の実名公表で恥をかかせたり自慢させたりして、教員に圧力をかけさせ、勉強のモチベーションを上げるというやり方は学習心理学的に考えても上手くいかないのではないか。

『勉強ができる子』で親や先生に無理矢理に勉強させられている子供がほぼ皆無であることからも明らかなように(小中学生であれば勉強が得意な子は先生に教えられるよりも早く自学自習ができているように)、勉強の得意・不得意の前提条件は『自発的な知的好奇心(勉強の中に面白さを感じられる心理)・問題解決の積み重ねによる自己効力感(やればどんどん今よりもできるようになるという感覚)』にほぼ依拠している。

そのため、『脅しや強制・先生の恥辱や自慢・利益誘導などの方法論』は教員間である程度通用するにしても、生徒に分かりやすく知識や方法、考え方を教えるという部分では通用しないだろうし、それを無理矢理にすれば『自分自身の名誉・利益・評価』のために体罰や威迫を繰り返す部活の顧問のような勘違いしたスパルタ教育を生み出すだけだろう。