『褒める教育』と『叱る教育』と『貶める教育』:学ばせるのは自発性か服従性か

適切に褒める事は『正の強化子』で自己評価を高めて柔軟な思考・行動を発現しやすくさせる。『無闇な賞賛(へりくだり)・注意しない(何でも容認)』は褒めて育てる教育ではなく、歪な上下関係や自己中心性、向上心欠如、虚弱性になりやすい。

「褒めて育てることの弊害」が囁かれはじめている

『褒める教育』というのは、子供を何でも自分が一番の王様にするための甘やかしではなく、子供の自発的な行動力や好奇心を引き出すために『子供の人格・失敗・試行錯誤を否定しない(頭ごなしに馬鹿にしない)』という事である。適切に『叱る教育』も必要だが、子供の自発性を潰して従わせる『貶める教育』と混同されやすい。

自己肯定ややる気を試行錯誤で伸ばしていく『褒める教育』は、『明るい人間関係+民主的・自由主義的な環境+知性・創造性・自発性が求められる仕事』との相性が良いが、確かに『攻撃的で嫌な相手+ストレスの強い環境+とにかく規律や作業に従う場』などに耐えられない脆弱なメンタリティーを醸成する可能性はあるだろう。

お前なんか大した存在じゃない、理窟抜きでとにかく従えと刷り込む『貶める教育(プライドや自発性を折る教育)』も、厳格な上下関係が優先される集団、理不尽な命令が飛び交う職務、創造性や思考力より規律訓練が大切な仕事ならかなり有効だ。自分で考えて動くほうが良い場も、機械的に指示に従うほうが良い場も両方ある。

本人の行動や心がけ、成果と無関係に『無闇な賞賛(卑屈なへりくだり)』をすることは、相手から舐められて(歪んだ上下関係ができて)教育効果がゼロになったり、向上心のない現状維持(努力せず今のままでいい)の原因になる。褒める・叱るは『行動・成果・人間性・目標の基準』に応じたバランスが肝要という事だろう。

『褒める教育』の根幹にあるのは『恐怖・威圧・強制(暴力を背景とする手段)』をできるだけ用いずに本人の自発性や好奇心に基づく試行錯誤を行わせることである。人間性教育としては『相互的な話し合いの可能な自他を尊重する人間・一緒にいて明るく穏やかな気持ちになれる人間』に育てることを目標とするものである。

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