“マナー違反・非常識”に社会的制裁を与える“第五権力としてのウェブ”の問題:ウェブの仕組みに対する無知・バカが許されない時代

2000年くらいまでのウェブには、『ユーザー間の言い争い・喧嘩沙汰』くらいはあっても『一人の人間の非常識(バカな行動)に対する集団バッシングとしての炎上』はなかった。炎上が可能になるためには『正論を掲げて攻撃する膨大な匿名ユーザー』がいなければならないが、その匿名ユーザーの声を反映させるためのSNSやツイッター、ブログなどの意見集約的な発言環境が本格的に整ってきたのがここ数年の流れだからである。

ウェブ上で『マナー違反・非常識な行動(バカな行動)』を自分の個人情報を漏らしながら自慢するというのは、警察署の前で自分の犯罪行為を大声で叫んでいるのと同じようなシュールな図式とも言える。だが残念ながら、『不特定多数の人(=社会世論)から見られるかもしれないウェブ上の自分(=自分の発言履歴の総体によるリアルな自己像の輪郭)』をイメージできないウェブの仕組みについて無知な人は大勢いる。

その人たち全てにウェブリテラシーを教育する機会を与えることは困難だが、『ウェブの仕組みについて無知である非常識な人』を一方的にバッシングして、罪に相応する以上の罰(リアルでの実害)を与えるというのはやはり行き過ぎた私刑になってくる。

仮にマナー違反を超えた法律違反であっても、『詳細な個人情報・鮮明な肖像をウェブ上に拡散されることの実害』は、罰金・禁固・懲役などの実刑判決に勝るとも劣らないものになり兼ねない。その不祥事による炎上の履歴がウェブ上に長期間にわたって残ってしまうことで、就職がしづらかったり過去の恥を消せなかったり、子供が親の失態でからかわれたりといった『その場だけで終わらない被害』が続くケースも想定される。

スーパーの店内で子供が商品のチーズをかじるも買わずに画像を『Twitter』にアップ 大炎上するも応戦中

子供がお店のチーズを食べてもそれを買い取らずに、逆に注意してきた人を口汚く罵るというのは確かに非常識で不愉快な行為ではあるが、『住んでいる世界が狭くて適切な学習の機会もなかった人たち,周囲に正しいマナーを教えてくれるまともな価値観の人も殆どいないヤンキー文化圏の若い男女(=ウェブ上でDQNと揶揄されるような人)』であれば、そもそもそういった反応しかできない成育歴・家庭環境・性格形成が根底にあることが少なくない。

もちろん、悪いことは悪いことなのだから是正されるべきだという正論は理屈の上では否定しにくいが、ウェブはマスメディアを超える『生身の大衆の膨大な数の声による攻撃性・吊るし上げの制裁力』を有しており、詳細な個人情報が暴露されてしまったケースでは何者も止めることができない『(私刑感情を増幅する)第五の権力』としての猛威を振るうことになる。

そのウェブの猛威は罪刑法定主義も罪に対する量刑の均衡も情状酌量もへったくれもあったものではなく、不特定多数が自分が正義だと思ってやっていることによって歯止めが効きにくい。『悪い者は悪いことをしたのだから幾ら罵倒しても侮辱しても構わない・非常識で迷惑な奴らの社会的生命を抹殺するくらいに叩き続けることこそが正義だ』という感情によって、終わりなく次々と新手の糾弾者が集まってくるし、本人がその後に元記事を削除して反省しようが後悔しようがもうやめて下さいと泣きつこうがどうにも止まらない(そもそも魚拓を取られたり拡散されると個人情報を検索不能なレベルで消去することは不可能に近くなる)。

ウェブが『不特定多数の正論主義者(正論主義の装いから指弾する人・ストレス発散のため叩ける相手を求める人も含む)』が集積する恐れがある『第五の権力』だという仕組みの理解がある人は、『ウェブ上の発言・態度・コミュニケーション』に慎重である。一線を超えた悪ふざけやマナー違反(非常識行為)の自慢をすればどうなるかが分かっているからだが、子供がお店のチーズを食べた子供の若い母親
などは『第五の権力(一般人の行動の監視者)にもなり得るウェブ』の仕組みを理解しておらず、社会全体に向けて自分の非常識さを喧伝し続けるというのはあまりにも無知かつ無防備である。

第五の権力としてのウェブというのは、一般大衆の日常的なストレスや不満(義憤)、怒りの鬱積の方向性が、『三重に間違ったことをしていること(初めに悪事をしたこと+悪事をウェブ上で公開したこと+社会全般に対して悪事や非常識を押し通そうとすること)に気づくことすらできない無知・無防備な相手』に向けられているものである。

その炎上によるバッシングの背景には、『リアルにおける非常識・マナー違反』がほとんど見過ごされているというストレスや不満・義憤もあるはずで、逆に言えばこういった炎上を引き起こすような悪ぶった人たちは、『リアルにおける非常識・マナー違反の延長線上(悪ぶっていきがって見せても現実社会ではトラブルになりたくない大半の常識人は素通りするだけ)』でウェブで悪さを多少自慢しても、誰も注意してこないだろうというような社会・世論に対する侮りや誤解がある。

こういった所謂『世の中を舐めた態度』は、それを巧妙に隠していれば実害がないが、それを敢えて自分から大声でわめきたてて世間を挑発すれば、『不特定多数の世の中一般の価値観(正論)の代弁者』が大挙してきて攻撃を受ける恐れがある。どんなに大声でいきがっても脅してもその世間的な私刑の圧力(大勢の人からの直接のバッシング)には抗えない、そもそも自分が間違ったことをしているのをゴリ押ししようとしているのだから『数』がなくても『ロジック』で負けてしまう。特にウェブでは容易に膨大な数の人が野次馬も含めて集まる、リアルの店舗や道路のように1対1や数人同士で向かい合って、大声の勢いと威圧感で押し切れるようなDQN好みの無理を通す状況とは全く異なるのである。

例えば、車からタバコをポイ捨てするマナー違反をしている柄の悪そうな人に、リアルで駆け寄っていって窓を叩き、『道路にポイ捨てをしたらダメなことくらい分からないのか。捨てたタバコをすぐに拾ってこい』と詰め寄れば、かなりの確率でポイ捨てした相手は逆ギレして『うるせぇ、お前に関係ないだろうが。ごちゃごちゃ言って俺に喧嘩売ってんのか』などと言い返してきてタバコを拾いにはいかないだろう。

ウェブ上で無知・無防備を極めている人というのは、いわばこういった『リアルで通用したこともあるゴリ押しの逆ギレ対応(大声で喚いて相手をやり込めたり善悪を曖昧化させる対応)』が『不特定多数が現場(公開した情報)を確認できるウェブ上』でも通用するだろうといった完全に間違った認識を持っている情報弱者というか自分の置かれた状況を理解できない人なのである。

アルバイトの悪ふざけにしろ、子供がチーズを齧って買取しない母親にしろ、その一つ一つの悪事は『不特定多数の目線・評価』に晒されなければ、当事者の間でそれほどの重罰を伴わずに解決されるか、分からないままに終わってしまう問題であるが、ウェブ時代ではなぜかそういった悪ふざけや非常識を自ら進んで公開してしまう人たちがいる。

『悪事の大小・罪の重さ』を問わずに、悪いことをして開き直っているような奴は晒し上げにして社会的制裁を与えてやれば良いという正論至上主義が、『第五権力としてのウェブ』を構成しているが、これは裏返せば『正論の通用しないことも多い現実社会』の影絵のような権力構造なのだろう。

ウェブ上にいったん公開された個人情報には『仲間内だけの・ここだけの話』は有り得ず、『各文化圏・各価値観による棲み分け』によるエクスキューズも通用しないので、本来は自分自身の実際の行為(それを写した写真)とひもづけられた価値観・考えの表明には常に慎重でなければならない。

SNSにせよツイッターにせよ誰にでも操作できる簡易な情報発信システムであるが、不特定多数からまなざされるウェブの仕組みに対して『本当のバカ・無知』であることが許されない時代がやってこようとしている。

好意的に評価すれば、大人になれば誰も注意してくれなくなる非常識やマナー違反を全力で注意・糾弾してくれる『大人のバカ(狭い世界における歪んだ常識)の再教育の場』と言えるかもしれないが、『罪に対する罰(不利益)のバランス・法的根拠のない私刑の濫発・名誉毀損や誹謗中傷へのエスカレート』を考えれば、小さなマナー違反(リアルであれば口頭の注意や関係者の納得で済むような問題)などに対しては一定の抑制も求められるのではないかと思う。