映画『アメイジング・スパイダーマン2』の感想

総合評価 93点/100点

新しい『スパイダーマンシリーズ』では、このアンドリュー・ガーフィールドとエマ・ストーンのコンビの恋愛関係の変遷と葛藤の表現手法が見事であり、単純なアメリカンヒーローものというよりは、VFXを駆使したアクション映画と感動的な恋愛映画をハイブリッドした魅力を持っている。

アメリカを離れてオックスフォード大学に留学することが決定したグウェン・ステイシー(エマ・ストーン)に対して、スパイダーマンのピーター・パーカー(A.ガーフィールド)は『グウェンのことを大切に思うならもう近づくな』というグウェンの父の死の間際の遺言に呪縛されており、グウェンとの関係を高校卒業を契機に静かに終わらせるべきだという考えに傾いていた。

つれないパーカーの態度の変化や別れの宣言に際して、グウェンも『お互いに別々の道を歩かなければならない時が来たのね』という認識を持つようになり、自分がかねてから目標にしていたオックスフォード大への留学と新たなキャリアを模索し始める。ニューヨークの治安維持のためいずれにせよイギリスにまではついていけないという口実に頼るパーカーは、グウェンのオックスフォード行きを、彼女との付き合いや思いに踏ん切りをつけられる好機と捉えるようにした。

卒代を務めた学校一の優等生であるグウェンの前途洋々たる未来に対し、ニューヨークの凶悪犯罪や悪党との戦いに明け暮れることをやめられないスパイダーマンの自分が関わり続けることの危険性や不利益を思うと、フェードアウトして別れることが最善だという結論に行き着く。

だが、オズコープ社で起こる騒動の中で再び二人は協力し合いながら戦う必要が生じ、お互いを求め合う気持ちを再確認することで壊れかけていた関係が修復に向かうかのように見えた……。

グウェンがインターンとして働いているアメリカ最大の電気会社オズコープ社で、ピーターとグウェンのちょっとした共通の知人である電気技師マックス・ディランが偶然の感電事故に巻き込まれて、『エレクトロ』という電気エネルギーを吸収して発散するモンスターになってしまう。

ニューヨークの電気インフラの主要電源から電気を吸い上げて大規模な停電を引き起こしたエレクトロは、圧倒的なパワーを開放して破壊活動を行う度に、人々が自分に注目したり恐怖の感情を持つことに承認欲求の快感を感じるようになり、エレクトロンになる以前の善良でお人好しだったマックスの人格を失っていく。

エレクトロは自分の人生が今まで『誰からも認められず賞賛されないもの・誰からも特別に必要とされず愛されない孤独なもの』であったことに強い不平不満を抱えており、一部の人からスーパーヒーローとして持て囃されるスパイダーマンに嫉妬・怨恨の感情をぶつけるようになる。初めて会った時には、スパイダーマンに素朴な憧れの感情を抱き、スパイダーマンに親しげに話しかけられて感動していたマックスだったが、エレクトロになってパワーを手に入れ人格・感情が変貌したことで、理想化・憧れの感情が嫉妬・怨恨の感情に転化してしまったのである。

オズコープ社の経営権を遺伝疾患で死んだ父親から譲渡されたCEOのハリー・オズボーンは、ピーター・パーカーの親友で仲が良いのだが、『家族性の遺伝疾患による醜悪な死の恐怖(死んだ父親と同じ遺伝疾患の兆候が現れ始めたことのパニック)』によって、生き残るためには何でもするという狂気に駆り立てられる。

ハリーは『自己治癒能力を有する遺伝子操作を受けた蜘蛛』の遺伝子を受け継いでいるスパイダーマンの血を欲し、その血を自分の体内に取り込めば家族性の遺伝の呪いから自分が解き放たれるという思い込みを強めている。

スパイダーマンであるピーター・パーカーは、親友であるハリー・オズボーンのために何でもしてあげたいとは思っているが、『遺伝子操作を受けた蜘蛛の血液の副作用』を考えると、自分の血液を与えてもハリーの病気が回復して健康になれるとは考えにくく、かえって危険な取り返しのつかない遺伝子改変が起こる可能性(実際にグリーンゴブリンという怪物に変貌するが)を憂慮していた。

ピーター・パーカーとグウェン・ステイシーの恋愛関係の展開をこの方向(対象喪失によるスパイダーマンの無力化・うつ化)に持っていくかという意外性が終盤にはあるが、この結論のままでいくと『アメイジング・スパイダーマン』の続編があるとしても、今までの二人の関係を中心にしたものではなくなるのだろう。

新たなヒロイン役との出会いとかの方向で進展する可能性もあるが、シリーズものは人を入れ替えると結構全体のイメージも変わってくるが、スパイダーマンシリーズに関しては、個人的に『トビー・マグワイア+キルスティン・ダンスト』のバージョンより、この『アンドリュー・ガーフィルド+エマ・ストーン』のほうが感情移入がしやすいコミュニケーションの機微を感じさせてくれる場面が多くて好きだった。