映画『悪夢ちゃん The夢ovie』の感想

総合評価 84点/100点

これから起こる事件や出来事を夢で見ることができる『予知夢の能力』を持つ引っ込み思案な小学生の古藤結衣子(木村真那月)と、サイコパスっぽい部分もある先生の武戸井彩未(北川景子)を中心にしたコメディサスペンス。

ドラマシリーズからのスピンオフだが、個人的無意識が夢に投影されるとしたジークムント・フロイトや集合無意識(普遍的無意識)が夢のイメージや元型になって現れるとしたカール・グスタフ・ユングの『夢分析の理論』を前提にしながら、コミカルタッチの推理小説のような面白さを持つような展開が考えられている。

クラスにやってきた転校生の渋井完司(マリウス葉)を、みんなが転校してくる前から夢で見たことがあるといって騒ぎになる。大人びた雰囲気の渋井完司はすぐにクラスでリーダー的な役割を果たすようになり、父親(六角精児)が路上の屋台でほそぼそとハム巻を作っている女子生徒の井上さんをみんなで応援して、そのハム巻を大ヒットさせ店舗を持てるまでに発展させていく。だが、そこには『成功させてから突き落とす(個人の努力で運命を変えることなどできない)』という渋井の自己理論の証明のための策略があった。

クールなイケメンの渋井は、“悪夢ちゃん”こと古藤結衣子の夢に、理想の男の子の象徴である『夢王子』として登場してくるが、この『夢王子』の原型は武戸井先生の夢にでてきていたGacktが演じる夢王子である。夢を研究する心理学教授である古藤の祖父の下で、野心的な助手を勤めていたGacktは、ドラマ版で古藤結衣子の父親であることが明らかにされている。そして映画版ではそれ以前のクールなキャラから転じて、結衣子との父子関係を自然に認めてふれあいを楽しんでいたりする。

古藤結衣子の渋井完司に対する初恋めいたやり取りや思春期的な自意識の強まりなども描きながら、物語は『謎めいた渋井完司の過去(渋井本人も思い出すことができない記憶が欠けた過去)』を明らかにしていくことでエピローグに向かっていく。井上さんの父親のハム巻の事業が拡大してカフェをオープンした時には、『カフェを潰すための渋井の策略』が、怪鳥ハルピュイアにまたがった渋井がハム巻の上にハルピュイアの糞を撒き散らす行為として夢の中で出てきている。

渋井完司は運送業で働く父親の渋井幸介(佐藤隆太)とアパートで二人暮らしをしているが、父親が実の父親ではないことを知っており、いつかこの父親も実の父母と同じように自分を捨てていなくなるのではないかという不安を抱えている。

6歳以前の記憶がない渋井は、自分を冷淡に捨てた母親への恨みを忘れられずいつか必ず殺しにいくという『運命的な決定論』に呪縛されているが、母親のいる住所を渋井幸介の捨てていた配送伝票から知った渋井はその住所に向かうことを決める。予知夢によって渋井の行動を予測していた古藤結衣子は、渋井に付いていくと言い張り同じ電車に乗り込む。

『他者に影響されて紡がれる運命は既に決められたものであり、自分の努力・意志では変えられないという渋井の人生哲学』を否定するために、古藤結衣子をはじめとするクラスメイト全員が渋井につきっきりとなって母親の殺害計画を止めようとする。

映画『悪夢ちゃん The夢ovie』には色々なコンセプトやお遊びの要素が含まれているが、メインストーリーが伝えんとするメッセージは『決定論と自由意思の二元論の克服(自分の人生を自分の行為・選択で切り開いていくことはできるのか否か)』という文学・哲学ではお馴染みのテーマである。

しかし、渋井から失われていた6歳以前の記憶には『母親を許すしかない出来事の記憶』が含まれており、現在に至っても母親である斉藤美保(本上まなみ)が渋井のことを捨てていたわけではないことにも気づかされる。更に、深い親子のつながりや父親としての実感を感じられずにいた今の父親である渋井幸介が、自分や母親のためにしてくれたことの大きさを知ることにもなる。