少子化問題が意識されはじめたトルコとエルドアン大統領の『避妊は国家反逆罪』の発言

トルコのようなイスラム教圏の中進国でも、経済成長・消費文明化(個人主義化)による『少子化のトレンド』を政治が強権的に解決する事は難しい。『女性を出産の道具にするような大統領の発言』は、国際社会における信任低下や人権意識が低いとの見方を招く。

トルコ大統領「避妊は国家反逆罪」 結婚式で演説

歴史上、国家・納税のために義務的な子作りに嫌々ながら勤しんだ男女は殆どいなかった。避妊や子供数が少ないことを、国家の最高権力者が『国家反逆罪』と呼ぶのは、人間の本性を解さぬ茶番に過ぎない。人間は詰まる所、『生みたいから生む』でないと子供に愛情を注いで育てにくい、『強制して生ませる』も反自然的だろう。

無知で非力な女性が、訳も分からず親から決められた相手(中年男)に嫁がされ、相手の家から子供を生む役割や家事雑事をこなす役割を押し付けられ、10代から産めるだけの数の子供を産ませられる一部の途上国の男尊女卑社会は、確かに少子化とは無縁で安価な労働力を再生産できるがそんな社会に逆行したい人が殆どいない。

避妊の知識と手段を持たない国々が、人口爆発と教育・雇用・インフラの欠如、反社会的勢力の子供の利用によって、どれだけの悲惨と貧苦と奴隷的状況に追いやられてきたか、エルドアン大統領は『避妊手段が普及していない途上国の女性・子供が置かれている現状』を視察して、どういった国を模範にするべきか考えるべきだろう。

そもそも、感情も倫理も社会制度も作用しない自然界は『人間が生きるべき道の教科書』の役割など果たしていない。自然界の摂理に従って人間は生きるべきだというのは『自然主義の宗教(自然主義の誤謬)』だが、理性・知性・技術・社会は常に『自然の理不尽と脅威への人間的抵抗』であった。