鹿児島県知事の『コサイン教えて何になる』の発言:男女のジェンダー差別・数学軽視の一般論

女子限定の『学問不要論』なら男尊女卑の現れだが『三角関数以外の社会・植物の知識』を代替案にしてるので、自分の『数学コンプレックス』の吐露か。博物学・社会学を勧めていて実学志向でもない。

女子教育「コサイン教えて何になる」 鹿児島知事、撤回

男女差別意識の現れの可能性もあるが、『女性は家事育児に専念すべきで余計な学問・知識は要らない』というテンプレートな伝統的ジェンダー押し付けの主張ではなく、この発言の趣旨は場面・文脈からすると『この知事がイメージする何か実際に役に立ちそうな学問・知識』のカテゴリーの中に、ただ数学が入っていないだけかもしれない。

記事だけでははっきり分からないが、『女子生徒に(女子高で)コサイン教えて何になる』といったなら女性差別的だが、『高校でコサイン教えて何になる』であれば、この知事の『学問体系の理解・応用の浅さ+職業人の生活経験の限定性』から数学を役に立たない学問と決め付けているだけ。日本的な文系脳のテンプレではあるが、東大卒の知事がその見識に留まっているというのは情けない。

政治家にせよ営業・販売・事務など一般的な仕事にせよ『数学を用いない大半の職業』では『小難しい数学は実生活・仕事の役に立たない(私もあなたも分からないけど仕事はできる)のコンセンサス』が得られやすい。少し考えれば、土木建築・コンピューター等の現代文明の根幹に厳密な数学の土台・根拠があることは自明だが。

政治家の仕事の本質は『大衆水準のコンセンサス』に照準を定め、言語的説得(平均的有権者が同意してくれるアジテート)をすることだから、政治家は自分の知的水準より若干『バカっぽく見える発言』をする傾向もある。知事は『三角関数』を平均的国民が数学に躓き始める分水嶺と見たが、科目の難易度と必要度は別問題だ。

もし鹿児島県知事が、女性差別や伝統的ジェンダーの押し付けの意図をもって、『女子生徒に数学は不要』といったのであれば、その代替案として出される科目は博物学・社会学などではなくて『広義の家政科(料理・裁縫・保健・保育等)』になっていたのではないかと思う。

数学と人文学の最大の違い、あるいは数学が苦手な人が多い理由は、数学は『言語的なレトリック(修辞)』が通用しないために、主観的(文学的)な解釈や表現の曖昧さを許さない『思考・正誤の普遍性(解を導出するまでの論理的プロセス)』があるからである。理解度・思考過程のごまかしが効きにくい分野である。

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