デザイナベイビーによる理想の子供と人間の自己保存欲求:現代人の主観的幸福度は低いのか?

○愛する人の子孫を残したい感情がある限り、デザイナーベイビーは回避されるが、『生物学的魅力でなく必要・条件で選ぶ婚姻の前提』が重ければ、精子卵子のバンク・遺伝子操作に誘惑される人が出る。

理想の子ども“デザイナーベイビー”は、すでに生まれている?

生物学的魅力と関係的・情緒的な絆によって男女が結びつく限り、デザイナーベイビーは『不自然・人間否定のテクノロジー』として拒絶される。先進国でデザイナーベイビーの話題が持ち上がる背景には、恋愛・結婚など性選択の基準や心理が『過去の社会慣習+生活の必要』からズレて個人の自己愛的な選好になっている事がある。

現代社会で増える格差や不遇感によって、生まれながらに人は平等の権利を持つとする近代啓蒙の『普遍的な人権・自由』の虚構性や欺瞞性が見透かされやすくなっている事は少子化とも無関係ではない。昔の階層・労働の運命的再生産に代わるロマンティックラブと成長経済が支える物語的な明るい未来の幻想に酔えない人が増えた。

現代の先進国・資本主義社会では『自己責任・能力主義・結果や美の重視』の価値観を信奉する人が多くなり、人の内面や行為のプロセスへの関心が低くなっている。デザイナーベイビーの技術・欲望・倫理はそういった能力主義や結果重視の延長上にあるが、離婚未婚の増加(運命論の衰退)や性の忌避感も拍車をかける。

デザイナーベイビーは、人の歪曲したエゴイズム(理想自我)や能力主義の反映だが、その具体的な考えや行動は『異性の存在や全体を運命的に愛し抜く事の困難化(ロマンスや義務の溶融)』であり『人間を能力・魅力・コストなどで評価する経済的フレームワーク』である。稼ぎや魅力にこだわり過ぎる先に遺伝子操作が待つ。

だが精子バンク・卵子バンク・デザイナーベイビー・人工子宮などが生殖方法として一般化するような未来社会がやって来たとしたら、かなりの確率で人類は滅亡(自己保存の本能弱化)の道を歩むだろう。デザイナーベイビーは自己保存ではなくむしろ自己否定であり、子孫を残して社会を持続させたい欲望の動機づけとして弱い。

○明治期には『貧困が大衆の所与の条件』で、国民が分相応に生きる自己限定をしやすかった(無謀な欲望・理想を持つことを戒められてきた)違いもあって、今よりも主観的幸福度が高かった可能性もある。現代は子供時代から学生まで夢を持たされ裕福に楽しくやってきた人が多い世代であり、『逆境・不遇・挫折』に脆弱な人が増えたのかもしれない。

生活保護や母子家庭の手当てを受けている人は、まだそれほど自我肥大をしておらず、現代においては逆に生存本能が強い類型に入る可能性もある。現代人はなまじ知恵があるので貧困になりそうな選択をせずリスクテイクをしない、惨め・貧しい人並み(中流的)でない状況に耐えられず、『心身の病気・ひきこもり・自死』に向かうのが多数派だろう。

現代人が人並み・平均的とか認識する生活状況や職業階層は、それなりの学歴で大手企業・専門職でキャリアを積んだ人でないと到達できない水準になり、経済成長期が終わった今ではかなりの人が相対的貧困になる。皆貧しかった時代ではなく都市・技術・経済は豊かに進歩を続ける、豊かな時代の取り残され感に陥る人が出やすい。

現代は確かに豊かな時代でそれなりにチャンスはあるが、昔のような貧者の平等感・連帯感といった居場所は現代にはない。貧しくなればバラバラな個人に分断されてひきこもったような生活になる(高齢者も含めて)。努力してカツカツ暮らせるだけの非正規・キャリア断絶の層が増えたのはある。

呉智英など一部の知識人に身分制があった封建主義に憧れるような人もいるが、『分相応に生きられる自己限定』が足るを知る自己肯定や幸せにつながっていた云々という感じの論調である。現代は思想・建前の上では努力すれば皆平等にチャンスを掴めるはずとされているので、余計に『結果の差異・相対的貧困』に落胆してやる気を無くす人が増えるのはあるかもしれない。

社会学的な社会変動論の統計では、経済が成熟して市場が飽和してしまった1990年代後半から『貧困層が富裕層に成り上がる型の階層移動』は殆ど見られなくなった。『親の職業・資産・文化資本(教養・文化)・人脈』が『子の学歴・仕事・所得』と強い相関を見せ始めたことも、社会が流動しない現代の閉塞感の一因だろう。

戦後の焼け野原からよーいどんでゼロから競争を始めた時は、特別な政治家・官僚・経営一族の身分は別ですが、一般国民層は『親の家柄・職業・資産』に関係なく『純粋な子供の能力・適性の競争(塾でなく学校教育で等しい条件で競えた事もある)』で親がどうでも子が勝ったり負けたりの流動性があり、労働需要も旺盛だった。

戦後の焼け野原、みんなが飢えて貧しかった時代には、『家族が腹いっぱいの白飯が食えればいい』など要求水準が低く、人間の思考や生き方もシンプルで余計な自意識・欲望もあまり持たなかっただろう。今を生きる日本人は『豊かな時代における差異・欲望の受け止め方』をしくじれば危険な精神に追い込まれる事は必定という状況に置かれている……。

しかし、人生の生き方の達人がいるとすれば『理屈で考えない人・シンプルな価値観を貫く人・小さな欲求の満足を大切にして感謝できる人』でしょうね。『どうやってもできないことを考える』のではなく『頑張ればできること・人と楽しめて笑えること』を探すべきというのは、傲慢になりやすい現代人が心に留めておくべきことだと思う。

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