AI・ロボットの進歩は『正社員減少』だけではなく『労働以外の人の価値・生きがい』を浮き彫りにする

アメリカの発明家レイ・カーツワイルが、2045年にはAI(人工知能)とロボットが人間の知能を遥かに凌駕して自律的に人間の手を借りず学習・業務ができるようになる『シンギュラリティ(技術的特異点)』に到達するという神話的予言をしてから、AI関連の話題や書籍が急速に増えている。

SFの小説や映画ではAI・ロボットの究極の理想は、人間とほぼ同じ外観・機能を持ち、人間を遥かに超えた知能・肉体の能力を持ちながらも人間の思い通りに動いてくれるお馴染みのサーバント(奴隷)型の『ヒューマノイド』の作製にある。だが、完全なヒト型のヒューマノイド作製は技術的・原理的なハードルが非常に高く、現実的には『何らかの役割・目的に特化したプログラム+仕事に合わせてオーダメイドする非汎用型ロボット』になるだろう。

AI・ロボットのもう一つの理想とされるものは『産業ロボット・サービスロボット・自動化システム』の高度な進歩によって、人間社会や産業活動を自動的・効率的・計画的に運用したり対人コミュニケーション(合わない相手との対面)のストレスを最小化したり、監視カメラやセンサーなどの環境調整システムを社会・機械(車・建物など)に織り込むことで『完全法執行システム(違法行為やマナー違反をあらかじめ検知可能にして原理的に人が悪事をほとんどできなくなる仕組みの実用化)』を構築することである。

この理想はヒューマノイド以上に既存の人間の自由や尊厳を損なうものであるが、現代においてさえも『アルコールの息を検知したらエンジンをかからないようにしろ・どこで犯罪が起きてもその場面を撮影して後で犯人を特定できるように監視カメラを網羅的に設置せよ(更に全国民のDNA・指紋・虹彩などの生体データ提出を義務化して犯罪ゼロを目指せ)・列車の飛び込み自殺できないようなホームドアを完全敷設せよ』などの環境管理による秩序維持の意見は多い。

『個人がどのようにしても社会や他人が好ましく思わない犯罪・マナー違反をあらかじめ環境制御システムによって押さえ込むべき』とする考え方は、AI・ロボットが進歩する社会と親和的なものであり、心を持つ人間に監視されることに不快感や怒りを感じる人はいても、無機的な監視カメラやセンサーに監視されることなら許せるという人は多いのである。

心と人間関係(コネ)を持たず利権・感情に揺り動かされないAI・ロボットが監視・法執行をするのであれば、かなりの部分の人間は犯罪者・マナー違反者をあらかじめ検知して抑制や警告、排除をしていく『AI・ロボットの秩序維持システム』を歓迎する可能性は小さくはなさそうな気がする。

例えば、歩きタバコ禁止や歩きスマホ禁止の教育をしたり注意をしたりしても無駄だから、歩きタバコをしていたら熱感センサーが検知して注意のメッセージを何度か流し、それでも消さなければ顔認識で個人データと照合されて後で反則金が科されたりするシステムに賛成という人はいるかもしれない。絶対に交通違反せず感情・気分・体調で乱されない全自動運転が当たり前になれば、人間が運転する行為がマナー違反とみなされるかもしれない。

AI・ロボットの進歩が『人間の職業・雇用・役割』を段階的に奪っていく可能性は高いが、21世紀半ばまでのスパンであれば人間の仕事の大半がAIに取って変わられる所までは恐らく行かないだろう。高度なロボットやAIのシステム開発に成功しても、量産化・低価格化・IoTのインフラ整備には一定の時間がかかる。機械・装置・センサーの類を環境に取り付けたり、故障したら取り外してメンテナンスしたり、今より良いものを発想して発明・改善したりといった仕事は、数十年の期間では、ロボットだけで自律的(自己複製的・自己補修的)にこなせる所まではいかないだろう。

単純労働や事務・工場・情報処理などの仕事は次第になくなっていき、ホワイトカラー・専門家の高度な頭脳労働とされてきたものも、あらゆる知識・情報を組み合わせて休みなく自律学習を続けるAIの前には陳腐化していくだろうが、それでも『物理的世界で実際に身体を複雑に動かす必要のある作業・心があると感じられる他者と対面してコミュニケーションする必要のある仕事・論理や数理の正しさよりもヒューマニスティックな感情や事情が優先される相手と状況』においては、AI・ロボットは生身の人間にはまだまだ及ばず人間側に一日の長がある。

AI(人工知能)は『ルール・論理・枠組み』がしっかりとした仕事やゲーム(競技)、データ処理においては、人間よりも圧倒的に優れており、もはや人間は世界トップレベルの棋士でもチェス・将棋などのゲームでAIを打ち負かすことは不可能になってきている。

音楽の作曲でも、AIが作成した楽曲のほうが有名な作曲家の曲よりも良いと感じる人が多かった(プロでもどちらがAIの作曲によるものか人間によるものか識別不能)というような実証実験の結果もあり、音楽・絵画・文学といった芸術分野においてさえも『AIでは決して獲得できない人間固有の感性・ひらめき・創造性』のようなものがあることが否定されつつある。

これから『人間でなければできない仕事』や『あなたがあなたである必要性』というものが問われる場面・状況が増えてくるだろう。かつては『労働者(働く人・働いて誰かの役に立つ人)であるという自己アイデンティティ』だけでも支えられてきた自意識や社会・家庭の中での居場所といったものが、『労働者として以外の価値・魅力・役割・生きがい・関係』を自分や誰かと作り出していけないと厳しくなってくる。

終身雇用・年功賃金がほぼ保証された『正社員』という雇用形態が一般化した歴史は思われているよりも短く、昭和初期までの熟練工・職人などは拘束度の強い常勤雇用をむしろ嫌っていた時期もあるが、サラリーマンの雇用待遇や社会保障水準が上がってくるにつれて(正規雇用以外の不利益が大きくなるにつれて)、企業の正社員・公務員を標準とする意識・制度が急速に普及していった。

特に大企業の身分保障の強い正社員は、『近代の持続的な成長経済・旺盛な労働需要・つぶれない大企業(解雇規制でクビにされない正社員)』によって支えられてきた側面が強く、『近代の終焉・ポストモダン・競争原理・経済停滞に続くAIやロボットの技術革新』によってその前提のいくつかが覆される可能性が出てきた。

そのため、『成長できない産業分野・マンパワーが不要になるAI代替の職種・つぶれやすくなる業界と企業(解雇規制の緩和)』によってプロジェクトごとの要員の寄せ集めのような仕事が増えたり、AIよりもマンパワーが安く活用できる仕事のアルバイト化が進んだりするのだが、『社会全体の技術革新による豊かさと効率性の増加(社会保障への恩恵)』と『長期に守られなくなった雇用・所得』とのバランスが崩れれば一般庶民の生活は厳しくなりそうである。

AI・ロボットというのは長らく『人類の実現困難な夢』として語られることの多かったものだが、不完全ではあるもののディープラーニングやニューロンネットワークによって今までにない高度な性能と応用範囲の拡大の可能性がでてきて、特定分野ではもはや人間の能力ではAIに太刀打ちできなくなってきている。

人間にしかないもの、人間固有の存在価値の砦としてあるのは『意識・愛と感情・欲望・目的性・遊戯性』になるだろうが、その前段階として人間の砦とされた『学習能力(自律性)・知的ゲーム(将棋・チェス・論理パズル)・創造性(作品で感動させる力)』については人間だけにしかそれがないという前提が崩されてしまった。

一部の学者は『元々チェスや将棋は大したゲームではなかった・音楽も思っていたより大して創造的なものではなかったのだ・知識や情報を記憶したり組み合わせる能力なんて別に知的な行為でもない』というAIに対する負け惜しみのような発言をしているが、『それであれば、人間固有の知的能力とは何なのか?』ということになり、現段階では『問題・課題・目的を発見してそれを解決しようとする意識やニーズ』になる。

AI(人工知能)はいくら高度に進歩してどんな問題でもエレガントに正確に解決できるようになったとしても、『自我意識・主体性・身体性(自己保存の動機付け)を持たないAI』には『解決すべき問題や悩み、痛み』がなく、『人間の知能によって生み出されたサーバント型AI(人間にとっての問題や悩みを解決しようとする高度な分割・特化された知的機能)』のレベルを超えることは技術的にも原理的にも不可能である。

正社員が減少するというのは、現在の価値観や生き方からすれば所得減少が進行する悲観的な未来予測であるが、『社会全体の豊かさ・効率性・適正人口配分(適正資源配分)』が飛躍的に進歩するのであれば、AI・ロボットによる正社員減少の副作用を上回る恩恵をもたらすかもしれないし、成熟経済のステージに至った経済成長が停滞した先進国では『(長期間にわたって自社だけに帰属意識とロイヤリティを持って滅私奉公する人材を保有し続ける)終身雇用・年功賃金』は企業にとってのメリットが乏しくなっている。

少子高齢化・未婚化晩婚化・無縁化(おひとりさま)・いじめや自殺・不登校や出社拒否(早期離職)・ネット依存(スマホ依存)・ニートやひきこもりなど、現代社会で『社会問題』とされているものの多くが、『対人ストレス・合わない他者の拒絶』と関係しており、家族や恋人友人と一緒にいてもずっとスマホの画面ばかり見ている人が増えるなど、『関係性で規定できない他者との距離感』も開いている。

ここにAI・ロボットの革新的な進化が加わればどうなるのかというのは、SF的な面白い思想実験であるが、現実的に考えても『人間の心(欲望)が嫌な他者・きつい仕事・高コストの自己保存から離れて何でも面倒臭がる現状(合わないものや嫌いなものからは遠ざかって好きなものばかりで周りを囲もうとする人ばかりの現状)』に対して、疲れもせず文句も言わず指示命令を受け容れ、機械的かつ効率的にすべてを処理するAIやロボットが現れてくるというのは、不可思議かつ歴史の因果を思わせるシンクロ二シティ(共時性)とも言えるだろう。

VR・ARといった視聴覚を幻惑する技術革新も加わってくるが、そういった人間のストレス・コスト・承認欲求などの一切合切を、高度な知能で休みなく肩代わりして処理するようなAI・ロボットが出現したとしたら(恐らくその時代には今この文章を書いている僕も読んでいるあなたもこの世界に生きてはいないだろうが)、そのインパクトは『スマホ依存』どころではない『AI・ロボット依存』をもたらす。

人間の生き方や他者との付き合い方、労働の価値などに劇薬のような作用を及ぼすことになるが、その本質は『自己愛の肥大=他者の自由意思の否定(好まざる他者の意思や命令、好き嫌い、不満などに影響されたくない)』でもあるので、生産活動や所得獲得のために強制的に集まる学校・職場が廃れてしまう恐れがあり、『労働以外の人の価値・魅力・つながり・生きがい(やりたいこと)』を自発的に生み出せる人でないと、旧時代以上に生きづらい時代(自己価値が承認される実感が失われる・あるいは気づかないように巧妙に仮想現実の中に入り込む)になるかもしれない。

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