半径数十メートル以上が“無人”の土地を除いて、“自由な屋外喫煙”は難しい時代に。

1950~1970年代までの日本の工場地帯や都市部では、今の中国・北京界隈と同様に“タバコの煙”が臭い煙たいとか苦情を言う以前の問題として、鉄鋼・化学の工場の赤白の煙突から濛々と吐き出される白煙・黒煙、自動車のマフラー(特に大型トラックのディーゼル機関)から溢れ出る規制の甘い排気ガスによって、視界が数メートルも効かないほどの『光化学スモッグ・公害(呼吸器系疾患・アレルギー性疾患)』にダイレクトに苦しめられた。

水俣病や四日市ぜんそくといった公害による際立った健康被害が目立っていてもなお、『高度経済成長・物質生活の豊かさ・重厚長大産業による終身雇用』を至高とする価値観は根強く、『大気・水・土壌の安全と快適さ』のために経済成長を犠牲にしようという意見は少数に留め置かれた。当然、外的環境や国民の価値観が全体としてそのようであれば、タバコの副流煙云々を問題視する声は上がりにくいし、『労働者の気晴らし・休憩としての喫煙』は当時は男性中心の企業文化のメインロードでもあった。

銜えタバコで電話応対も取材活動(手仕事)も当たり前、会議室や休憩所は涙が出るようなタバコの煙で充満しているのが常、大半の男が歩きタバコで繁華街を闊歩するという現代からすれば『時代錯誤極まる職場・社会』があったわけだが……それから30年以上、時代も外的環境も価値観も大きく変わってしまい、『喫煙の入口=未成年の不良文化・仲間意識の背伸び喫煙』も減っていき、喫煙者率そのものが大幅にダウンした。

既に喫煙がカッコいい(反権威・内省的スタンスの象徴)というイメージそのものが失われ、ドラマや映画などでも喫煙シーンの描写が急速に減った。『風立ちぬ』で宮崎駿がちょっと昭和期の学生仲間の喫煙シーン(タバコの回し飲み)を描けば、『宮崎駿は自分が喫煙者だから喫煙行為を助長するバイアスがかかっている(いくら時代考証で当時の男子学生の多くが喫煙していたといってもそういった表現は未成年を喫煙に誘引する好ましくない影響を与えるので控えるべきだ)』などの批判も寄せられる時代である。

『街中・人前での喫煙』は副流煙や悪臭などの間接的な加害行為として非難され、条例で規制されたりもするようになったのであり、『喫煙する自由』は『非喫煙者が煙・匂い・化学物質の悪影響を受けないようにする権利』によって大幅に制限されるものになった。自分はタバコを吸いたくもないし、ただ『煙・匂い・化学物質(有害物質)』による感覚と健康への悪影響しか受けないのに、喫煙者の吸う煙が自分のところにまで流れてくるのは不快であり制限すべきだというのは『正論』であり、理屈の上では覆すことが難しい。

従前は、男性中心社会において男性の圧倒的多数が喫煙者であり、喫煙文化が私的空間から公的場面にまで浸透していたため、『少数派や女性などの喫煙を迷惑・不快に感じる意見』が抑圧されていただけだったとも言える。無論、『喫煙する自由』や『各種リスクを理解した上での自分の行為選択』は尊重されなければならないが、これから『公共圏・店舗内における喫煙スペース』はますます狭小化していく可能性のほうが高く、『非喫煙者に煙・匂いが流れる可能性がある場所』での喫煙許可も下りにくくなる。

福岡市の中でも特に人口密集率の高い天神、子供や非喫煙者も多く通ったり休んだりする警固公園に『完全に外部と区画されていないタイプの喫煙スペース』を設置することは、現在の中心的な価値観・世論に照らし合わせればやはり難しい。JRの駅も数年前までホームの一番端っこ(あまり人が来ない場所)に灰皿を設置していたが、今ではそういった喫煙者への配慮はなくなり『駅内・構内は全面禁煙です』の看板だけが掲げられている。大病院も然りで外部にある広場のようなところにももう灰皿は置いていない(中規模の個人病院なら稀に今でも置いてあるが院長が喫煙者かもw)

完全に四方を区画して浄化した空気だけを外部に排出する仕組みを備えた喫煙スペースであれば設置することができるが、角度や風向きによって外部に漏れるという不完全な区画ではどこかから苦情や是正要求が飛んでくることになる。今でも田舎の農村部にまでいくと、タバコを銜えたままでトラクターを動かしているおじさん・おばさんがいたり、小さな定食屋には濛々と白煙が立ち込めていることもあるが、これは周囲の人々のほとんどが喫煙しているからで、外部の非喫煙者や喫煙マナーに厳しい人がその地域までわざわざやってこないからに過ぎない。

僕も10年近く前までは吸っていたので吸いたい気持ちは分からないでもないが、現代では自分の家以外では『半径数十メートル以上に人がいないような鄙びた場所』か『喫煙者が圧倒的多数を占めて一昔前の習慣が生きている地域』くらいしか、屋外喫煙はできないと考えたほうが無難である。もはや、スタイルとしても文化・趣味・息抜きとしても、都市部や他人の目が多い場所では喫煙はできなくなりつつあり、一部医療者にとっては治療対象の病気(物質依存症)にされており、『自室以外は許認可スペースのみで喫煙すべき』の社会風潮や報道姿勢になっているということ。