千葉県柏市の通り魔事件と不特定多数(誰でもいい相手)に危害を加えようとする犯罪類型

ニュース映像にあった現場の大量の血溜まりから犯行の悲惨さが伺われるが、カネ目当ての『強盗殺人』というよりは、精神状態の異常な興奮や攻撃性に基づく『無差別殺傷』に近いような印象を受ける。

31歳会社員の生命が失われる被害があったが、人通りの少ない深夜の住宅街の道路でなければ、より被害者数が拡大していた恐れもある。最初に声を掛けられた自転車の20代男性は、即座に逃げるという咄嗟の判断によって助かった(切りつけられて軽傷を負ってはいる)というが、その後の殺害状況から明確かつ強力な殺意の存在がうかがわれることから、加害者に言われるままについていけば不意の一撃で命を落としていた恐れもある。

加害者がいまだに捕まらず逃走を続けていることは、周辺住民にとっては非常な不安・脅威でもあるが、『公開されている外見・服装の特徴(サングラス・ニット帽・マスク・黒のダウン)』は、少しでも時間が経てば、全く犯人追跡の役には立たないものばかりである。

コンビニの防犯カメラに犯人の姿が映っていたとされるが、サングラスとマスクをしたままだと顔は分からない。それ以外の防犯カメラとの照合で逃走経路をつないでいったり、盗んだ車を乗り捨てた後の目撃証言がでるか、容疑者の周辺からの情報提供がないと逮捕まで漕ぎ着きにくいと思うが、新たな通り魔事件を犯す前の時点での検挙が至上命題ではある。

中国の昆明でも、新疆ウイグル自治区の政治問題(民族自決と中国政府の抑圧)が絡んでいるとされる複数人での無差別殺傷事件が起こったが、これは政治的目的のある刃物を用いたテロリズム(暴力による残酷な示威行動)のようなもので、160名以上とされる被害者数も桁違いなものだった。

集団での無差別発砲や爆発物を用いたテロリズムであれば、過去に同程度の被害者が出たものもあるが、刃物を用いた大量殺戮型・都市型のテロ(刃物のほうが銃火器よりも感覚的な残酷性は強調されやすいが)というのは、歴史的にもかなり珍しい事件なのではないかと思う。

日本における通り魔・無差別殺傷は、自分の人生(仕事・家族・異性・人間関係)が上手くいかずにどうにもならなくなり行き詰まったというような『個人的・利己的な理由』や自分の不幸不遇の原因を不特定多数の他者が構成する社会全体に責任転嫁してしまう『妄想的な社会憎悪・報復感情』によって引き起こされやすいが、責任能力の有無(善悪分別・行動制御のレベル)が争点となるような精神障害者による凶悪犯罪にも単純な精神錯乱・興奮・幻覚だけではなく、『発病前の個人的理由(環境要因)+一方的な社会憎悪の増進』が絡んでいるケースはやはり多い。

お金や仕事がなくて貧しいからお金が欲しくて強盗殺人をしたというのは現時点の表層的な動機ではあるが、その背景には『社会憎悪・他者否定の攻撃性(病理性)を高めていくプロセス』があると考えられる。

その危険な反社会性や攻撃性を高めていくプロセスには、ただお金がないという現時点における不満・困窮だけではなく、『学校教育から早期に脱落した・家庭環境が崩壊していた・仕事に適応し定着することができなかった・仕事のキャリアやスキルを身につけられない・人間関係から疎外され孤立した・どこにも誰にも帰属感や安心感をもてなかった・他者からの愛情(善意)や他者との信頼を感じることができなかった,精神病的な状態や軽度の知的障害・発達障害などを放置し続けた』など様々な要因が複雑に絡み合っていて、この種の無差別殺傷事件を未然にすべて抑止するのはかなり困難だ。

お金というものも『他者から自分の仕事の価値を承認されて手に入れる』というプロセスを考慮すれば、無差別事件を引き起こすに至るまでの加害者は『他者から自分の存在・能力・魅力・努力などを全く承認されない期間が長期化したこと』や『他者から自分の必要性や価値が認められないために、自分にとっての他者の価値もなくなっていったこと(他者一般が自分を否定したり非難したりする敵のように思われてきたこと)』が想定される。

こういった加害者に対して、実際に無差別事件を起こす前に『治療的な他者からの承認・心理教育的な認知転換・暫時的コミュニティへの参加感覚(自己の居場所の感覚)』を粘り強く与えることができれば、未然に事件の発生を防げる可能性は高まるかもしれない。

だが、『経済的な困窮と能力や適性の不足・社会的(関係的)な疎外と孤立・劣等コンプレックスと妄想的な社会憎悪の連合・人格的な歪曲と精神的な異常』などを事前にリサーチして予防的な対処するような仕組みを作ることはおよそ不可能である(経済的困窮をカバーするだけの生活保護でさえ十分には機能しないのが現状である)。

実際には相当に精神状態がおかしくなるまで(現実検討能力が低下して何をして良いかの判断が不能となり、社会・他者を逆恨みしたり自分を全否定したりするまで)困窮したり捻れたりした人も公的機関や病院に助けを求めることはまずなく、自滅的な犯罪・自殺・無為に駆り立てられることのほうが多い。

『格差社会と能力主義・コミュニティの衰退・人間関係の希薄化』などもそういった自滅的な行動傾向を促進する恐れがあるが、自分自身の立ち位置さえ不安定化する人が多数を占める社会では、平均ラインから落ちこぼれていく他者を見捨てたり放置すること(かかわらないこと)が暗黙の了解のようになってしまって、さらなる孤立や自己否定、反社会性の悪循環を招くこともある。

精神や人格の健全性(社会適応性・他者配慮性)の維持の大半は『自己責任(倫理・共感・遵法・自尊心・関係性などによるセルフコントロール)』とせざるを得ないが、そういったセルフコントロールと環境適応に不可逆的に失敗した人の中から、『自暴自棄・破滅思考を前提とする社会憎悪型(他者否定型)の犯罪者』が生まれてしまうと、どうしても事後的な司法の処罰・措置に依拠するしかなくなる限界はある。