映画『キックアス ジャスティス・フォーエバー』の感想

総合評価 88点/100点

『キックアス』の基本路線はポップでコミカルなアメリカンヒーローものだが、映像表現そのものは結構グロテスクな流血やハードな殺陣を伴っていて、アクション映画としての見所も多くある。会話の中ではスラングや猥語が次々飛び交い、ふざけた敵役のボスは口うるさい自分の母親を偶発的に殺してしまったことから、“マザーファッカー”を自称して暴れまわる。

勧善懲悪のアメリカンヒーローの代表であるバットマンやスーパーマン、スパイダーマン、アイアンマンなどには『財力・特殊能力・宇宙人・身体改造』など普通の人間にはない特別な強み(力の源泉)があるが、キックアス(アーロン・テイラー=ジョンソン)には『正義心・勇気』以外の何もなく、おまけに自前の緑ベースの衣装もセンスがなくてださい。

キックアスは悪事をしている奴らを見逃してきた自分が許せないという動機から始まったオタク系の『なりきりヒーロー』だが、特別に身体を鍛えているわけでもなく格闘技や暗殺術の達人でもないため、犯罪者とぐだぐだな殴り合いになった挙句に負けてしまったりもする。キックアスはSNSのコミュニティを通じて、自分と一緒に自警活動をしてくれるヒーローを募集しているのだが、強い者も弱い者もごちゃ混ぜになった同好の士が集まって『ジャスティス・フォーエバー』という自警集団を結成する。

ちなみに現代のアメリカの州では、当然ながら一般市民の自警活動(実力行使・徒党で威嚇する警察代替行為)は違法行為であり、『キックアス』でも仲間のヒットガールがキックアスを助けるために敵を殺してしまったことで、警察による自警活動(ジャスティス・フォーエバーのような自警団)の摘発が激化していったりもする。

特殊能力のないキックアスにとっての切り札と言えるのが、幼少期から父親(ニコラス・ケイジ)に殺人術・武器の取り扱いを徹底的なスパルタ教育で叩き込まれてきたヒットガール(クロエ・グレース・モレッツ)という女の子である。重要な戦闘や強力な敵に立ち向かう場面では超人的な戦闘能力を持つヒットガールが活躍して難局を乗り越えるのだが、本作では前回死亡した父親からミンディ・マクレイディ(ヒットガール)を託された警官の親友(義父)から『普通の女の子』として生活するように厳しく指導され、一時的にヒットガールとしての活動をやめてしまう。

ヒットガールからボコボコに殴られながら格闘術を教えてもらい少しずつ鍛えられていたキックアスは、ミンディ・マクレイディがヒットガールをやめてトレーニングにも付き合うことができないと聞いてがっかりするが、キックアスとヒットガールの恋愛的な要素も随所に織り込んでいる。ヒットガールが活動休止している間に、キックアスは『ジャスティス・フォーエバー』の集まりで知り合ったナイト・ビッチという妙齢の女性との肉体関係にはまってしまい、自警活動にかこつけてよろしくやっていることを皮肉られたりもするのだが。

ナイフやランス、手裏剣を振り回して悪漢を容赦なく殺戮する“ヒットガール”から、年齢相応におしゃれやファッション、恋愛を楽しんで女の子らしく振る舞う“ミンディ・マクレイディ”への転換の努力が一つの面白い見所になっている。

入部したチアガール部では、抜群の運動神経とリズム感を見せつけて部長の座を仕留めるのだが、それに嫉妬して嫌がらせをしてくる学校のアイドル的存在の女の子に痛快で下品な復讐をする。女性としての魅力でも負けないことをアピールするために、ばっちりメイクとセクシーなファッションで学校の食堂に乗り込み、復讐のための対決をするのだが、結局、普通の女の子らしく過ごす学校生活やクラブ活動、恋愛、女同士の競い合いに何の魅力も見いだせないということに気づいてしまう。

再び正義を掲げた戦いの場にキックアスと共に向かっていくのだが、この映画は主役のキックアスが『なりきりヒーロー』だとすれば、敵役のマザーファッカーも『なりきりヒール』であり、実際の戦闘で強いのはヒットガールやマッチョなロシア女という双方の女性メンバーなのである。『戦闘美少女の精神分析』といった本もあったが、日本のオタク系漫画に限らず、現代のハリウッドでもある時期から『マッチョな戦う男(如何にもタフで強そうな外見の男)』だけではなく『エレガントな戦う女(華奢で美人・可愛いが強い女)』を主人公に設定することが多くなっている。

アメリカはメイフラワー号や西部開拓の時代から、自分たちの安全は自分たちの力で守る(公権力をあてにせずに自分が戦う)という方式の『自警団・武装権の精神』を重視してきて、それが現在の銃社会の危険や世界の警察意識の弊害になったりもしている面があるが、『自力救済による正義の実現(問答無用の悪の殲滅)』というのは西部劇の郷愁が漂うようなアメリカン・エスィクス(アメリカ流の倫理)ではあるのだろう。

『キックアス ジャスティス・フォーエバー』のようなコミカルなふざけた所の多いアクション映画にもそういった精神性や価値観が強く押し出されているのは興味深い。