映画『300 ~帝国の進撃~』の感想

総合評価 90点/100点

前作『300』では、100万以上の大軍で押し寄せるクセルクセス大王のアケメネス朝ペルシア帝国を、レオニダス王率いるわずか300人の精強なスパルタ兵が迎え撃った。幼少期から過酷なトレーニングで最強の戦士を育て上げる都市国家スパルタが、玉砕覚悟の戦闘を挑んだ伝説的な『テルモピュライの戦い(紀元前480年)』を題材にしてアレンジした映画である。

ポリスの自由と独立を守るために勇猛果敢なスパルタ兵たちは、ペルシア帝国の圧倒的な大軍に恐れを知らぬ突撃を繰り返す。わずか300名の精兵のみで100万に近い大軍を3日間にわたり足止めし、スパルタの武力の強さとレオニダスの名を伝説にまで昇華させたが、“神王”を自称するクセルクセス大王(ロドリゴ・サントロ)の『ギリシア征服の野心』まで吹き消すことはできなかった。

都市国家アテナイは、ペルシア戦争序盤の『マラトンの戦い(紀元前490年)』で勝利を収めたことで軍事防衛の自信を深め、親ペルシア派を陶片追放して対ペルシアの敵対的な外交姿勢を固めた。

映画では紀元前480年、テルモピュライの戦いと並行する形で行われた『アルテミシオンの海戦』で、アテナイの将軍テミストクレス(サリヴァン・ステイプルトン)がペルシアのダレイオス1世を弓矢の奇跡の一撃で落命させたという創作のエピソードを盛り込むことで、クセルクセス大王のギリシアへの支配欲・復讐心に説得力を持たせている。ギリシアへの復讐心に燃えてペルシア海軍を指揮する女剣士のアルテミシアもまた、原作・映画のために創作された個性的な人物である。

ギリシア内戦で捕虜となり奴隷として虐待され続けた女アルテミシア(エヴァ・グリーン)は、ペルシアの使者に拾われて剣士・暗殺者としての訓練を受け、ペルシアでも最強の剣士として成長する。ダレイオス1世にその剣術の才覚と比類なき美貌を認められたアルテミシアは、王の側近としての地位を手に入れるが、ダレイオスがテミストクレスに討たれた後にも、クセルクセス大王を影から操るフィクサーとなる。

『どうやっても従わない卑しいギリシア人など放っておけ(まともに戦っても勝てない)』と遺言したダレイオス1世だったが、アルテミシアに世界の覇王として祭り上げられて呪術的なパワーを得たクセルクセス大王は、再びギリシアに膨大な数の大軍を差し向けて復讐の戦争を挑む。

映画『300 ~帝国の進撃~』のクライマックスは、紀元前480年9月の『サラミスの海戦』であり、ギリシアの智謀の英雄テミストクレスとペルシアの美貌の女将軍アルテミシアが双方の命運を決するために激突する。戦争前の交渉で、テミストクレスを誘惑して服従させようとするアルテミシアとの獣のようなセックスの肉弾戦もあるが、結局交渉は決裂することになり、テミストクレス率いる数的に劣勢なギリシア海軍は船体を衝突させて敵船に乗り込む『決死の接近戦』に活路を見出そうとする。

テルモピュライの戦いで300名のスパルタ兵が敗れたことで、陸上の防衛線は決壊してしまった……更にアルテミシオンからアテナイ海軍が撤退して、アテナイのアクロポリスがペルシア軍に破壊されてしまっている絶望的な状況下、アテナイの智将テミストクレスは『ギリシア全土のポリスの大同団結』以外に『ギリシア人の自由』を守り強大なペルシア帝国を排撃する方法はないと判断する。

テミストクレスは自らがスパルタに赴き、王妃ゴルゴ(レナ・ヘディ)に海軍の援軍を送ってくれるように依頼するが、夫のレオニダス王を亡くして落胆するゴルゴは、スパルタは自国を守るのに精一杯でありギリシア連合軍に兵は出せないと拒絶する。アルテミシアが長年のギリシアに対する怨恨・憎悪を滾らせ、『サラミスの海戦』の決戦が迫る。

剣・槍で打ち合い弓矢が乱れ飛び、筋骨逞しい肉体が衝突し合う戦闘シーンは、過剰なまでの流血と負傷・死の描写で満ちており、敵将の首を切断するなど残酷な場面も多いが、あまりに誇張した過激な戦闘表現のためにかえって『戦闘・死のフィクション性』のほうが目立っている感じもある。

オリンポスの神々の後胤を称するギリシア人は『自由・独立』を絶対視して、『服従・隷属』を断固として拒絶する。世界支配を目論む巨大帝国の王クセルクセスは神王を自称して、『ペルシア帝国に服従しない異民族』を認めず、『力による支配・自由の剥奪』をギリシアに対しても及ぼそうとする。

古代の神話的な趣きが漂う『ペルシア戦争』を映画化した作品だが、各登場人物の個性を強調したことで、派手な白兵戦のフィクショナルな面白さと戦史物語の分かりやすさが魅力になっている。

実際の歴史では、サラミスの海戦を勝利に導き、アテナイ海軍をギリシア最強のものにした英雄テミストクレスは、その圧倒的な人気と実力のために『僭主(独裁者)』となってアテナイ市民の自由を奪う恐れがあるとして、陶片追放を受け国家反逆罪で告発されるという皮肉な末路を辿っている。

市民の民主主義と自由を絶対的な価値とした民主制のアテナイでは、人気・名声・実力・野心が極端に抜きん出て優れている英雄(カリスマ的指導者)の登場を喜ばなかった。危機的な状況において、優れた英雄を活用したとしても、平時には『市民(自由民)の上に立つ僭主・特権階級』になる可能性があるとして、何度も陶片追放(オストラシズム)の制度によってアテナイの共同体から排除した。

アテナイは遂にローマ帝国のような帝政に移行することなく衰退していったが、有能で野心的な人物が頻繁に国家反逆罪の疑いを掛けられ追い出されること(自分の能力・実績を大々的に示せば自由な市民の敵として扱われること)も、アテナイ弱体化の一因になった側面があるかもしれない。

映画ではテミストクレスのその後までは扱われておらず、テミストクレスが説得に応じないアルテミシアを仕方なく殺して(潜在的にある二人のほのかな恋愛感情・好意めいたものも示される)、サラミスの海戦で有利な戦局となった辺りでエピローグに流れ込んでいく。