沖縄県の普天間飛行場の辺野古への移転計画と生態系への影響:安全保障の必要性を訴えながらも負担を回避する先進国の人々

市街地近郊にある危険な普天間飛行場の移設は急務だが、辺野古のような埋め立ての必要な土地より、既存の飛行場の拡充・併用の方が環境負荷は低い。生物多様性の生態系への悪影響は不可避だろう。

辺野古の海は新種の宝庫 埋め立てで生態系損なう恐れ

在日米軍基地は安全保障のために必要というが、誰も『自分の居住地の近郊』に誘致する事に賛成の人はいない。沖縄県は地政学的要因はあれど戦中も戦後も『本土の防波堤・捨て石』的な扱いはある。集団的自衛権も東アジアの安定秩序のために必要というが大半の人は『機雷掃海・紛争地帯の派遣・米軍の支援』には応じない。

日米欧の先進国にとっての軍事・安全保障は『理性的・平和主義的・人権保護的な自国民』が、『感情的・好戦的(野蛮で無教養)・人権侵害的な第三世界(軍事独裁国・紛争多発国)の脅威』に備えるものという傲慢さに裏打ちされ、自分達は戦うつもりはないが『外部の遅れと粗暴』があるから仕方ないという発想になる。

その為、基本的に軍事・軍隊は必要ではあるが『他人事=軍隊や自衛隊がどうにかしてくれるもの』となりやすく、『戦争で損傷される生命・身体』もリアリティが希薄となる。結果、基地・軍務の負担も他人事でないと不満は噴出する。『武力による威嚇』で得る平和・豊かさは常に報復・怨恨のリスクと背中合わせである。

軍隊にせよ基地にせよ兵器・装備にせよ、欧米諸国や中朝・紛争地帯の指導層などが利益を得られる『戦争経済』を構成する諸要素は、いったんその構造に参加して権益化し大勢の雇用を支え始めると、その規模や消費量、発言力を削減することが困難になる。故に軍事予算や基地の規模はベースを低く押さえないと肥大傾向を持つ。