若者の『恋愛離れ・おひとりさまの増加』の現象を起こしている原因の考察

若者の『恋愛・結婚離れ』とはいうが、昔も自発的な自由恋愛は少なかったのかもしれない。世界的・歴史的に見ても個人としての男と女が、『自分の好み・選択・欲求・自己責任』だけで相手を探して付き合ったり結婚・出産したりという時代は殆どなかった。『家柄・血統・宗教・生活・親の希望や社会規範(周りの強制的な干渉)』などで半ば運命や義務として恋愛をすっとばした結婚・出産(見合い婚や取り決め婚)が行われることのほうが多かった。

恋なんてめんどくさい!?おひとりさま大歓迎な若者たちの恋愛事情

結婚とは惚れた腫れたや性的・人格的な魅力(好みのタイプ)の比較及び追求というよりは、ほとんど『生活・育児のために必要な男女の役割分担の結合』であったからであり、好きな人が見つからなかったらしないでもいいかといった選択肢はなく、一定の年齢でしなければならない(そのために周囲も見合い・紹介なりの強い干渉をしてくる)ものだと受け取られていた。

現在の40~50代以上のバブル景気を経験したような男性にしても、みんなが好みのタイプの女の尻を追っかけ回して、躊躇いなく肉食系の勢いで口説きまくる『恋愛至上主義者』だったかというとそうではないだろう。

今と同じで『女性に上手く話しかけられない人・女性の扱いやデート(遊び)の計画が苦手な人・一緒にいて異性を楽しませたり魅了したりすることができない人・女よりも趣味や自分の世界に生きたい人』だって相当な割合で含まれていたはずだが、『30歳くらいまでには結婚しなければ恥ずかしい・差別的なまなざしで見られかねない(女性であれば生活できなくなる恐れがある)』という周囲・現実の圧力や世間体の意識が現代とは格段に違っていた。

1980年代辺りから恋愛結婚が主流化してくるが、恋愛(おしゃべりやデート・性的交渉など楽しむための付き合い)と結婚(生活・育児・互助のための付き合い)は本来的には別物の側面を持っていて、『会話・遊びを共有する異性としてはいまいちなタイプ』でも『責任感・安定感のある家庭人として信頼できるタイプ』ということは往々にしてある。

日本の婚姻や男女関係の範型は元々、『好きな異性に気軽にアプローチする恋愛に積極的な男女のアクション』というよりは『真面目な生活設計やコミュニティ・紹介を前提とした男女の結びつけ(役割分担と出産・育児の義務のある男女関係の鋳型へのはめ込み)』にあったようにも思える。

実際、日本人の男女の大半は恋愛・性にノリノリ(自分に自信を持って異性に当たる)というわけでもなく、バブル世代とかコギャル世代とかで『男女関係の乱れ』などと言われていても、みんながみんなそんな色恋沙汰の乱痴気騒ぎをしていたわけではない。

恋愛に積極的で女好き(男好き)だからといって、必ずしも結婚が早かったり家庭生活に向いているわけでもなく、異性と一緒に遊んだり時間を過ごす恋愛だけが好きで拒絶されることを恐れずに誘いかけていく肉食系は、逆に気(関係性のバイタリティ)が多すぎることが落ち着いた生活設計に不向きとなる恐れもある。

現代の若者に『恋愛離れ』が起こっているとすれば、その背景にあるのは『皆婚』を常識とする文化的・社会的な圧力の低下だったり(恋愛も結婚も人それぞれという意識が強まったことであり)、ネットやバーチャルを含めた興味関心(やりたいこと)の増殖・乱立だったり、マスメディアやゲーム・アニメの提示してくる外見の優れた異性像などによる『理想の高止まり(現実逃避機制含む)』だったりだと思う。

かつての『恋愛・結婚の優先順位』の圧倒的な高さが、現代社会の若年層において、過去に比べると低下している傾向はあるかもしれないが、それは『恋愛・結婚の必需性(メリット及び義務感)の低下』と『恋愛に注ぎ込む労力・金銭の相対的な量の減少』によって概ね説明することができるだろう。

このことは、好きな異性と恋愛をするためなら結婚をするためなら、火の中・水の中何でもやってやるというほどの恋愛至上主義のハングリー精神もスポイルして、『労働意欲・社会参加欲求の絶対量』も減少させる作用を及ぼしている。

雇用情勢や平均所得が悪化して『お金がないから恋愛をする余裕がない』というのも真ではあるが、『恋愛・好きな異性のためなら何でもやれる(それが人生の主要な目的なのだから)』というほどの目的志向の労働意欲・根性論のバイタリティを持つ人もまた減っていると思われるからである。

それだけの自己犠牲を覚悟させるほどに魅力的な信頼できる異性がいないからという意見もあるかもしれないが、やはり過去と現在では『異性・恋愛・性にまつわる情報量や知り合える異性の数』があまりにも違いすぎて、過去のような初めて付き合った相手との運命を信じ合えるほどに素朴・純情な心理にもなりにくい。

またネット以前の1970~1980年代までの社会では、遅くとも30代で9割以上の人が結婚・出産をしており、そこで自分だけが結婚しないという選択はしづらかったため、恋愛や結婚に対する必死さのレベル(異性・結婚がダイレクトに人生・労働のメインの目的や意味になっていてそこに疑問の余地も異論めいた情報もなく、周囲の紹介も熱心)が違うということもある。

異性を求める恋愛や性愛を『本能』によって説明しようとする意見もあるが、人間にとっての異性関係や性的行為は『本能的・反射的な行為』というよりは『文化的・幻想的な行為』としての側面を強く持つ。

つまり、社会規範(絶対にしなければならない行為か)や常識感覚(圧倒的な多数派によって行われていて異論が通用しないか)、周囲の評価(周囲の親や友人知人が自分の現状や相手をどのように評価するか)にかなりの部分を依拠しているところがある。

故に恋愛・結婚という行為は、自分が恋愛(結婚)したいと思うかどうかが全ての『プライベートかつ本能的な行為』としての側面を持ちつつも、自分が帰属感を持つ社会・家族・組織の中において自分が恋愛・結婚することがどれくらい強く期待されているか(どのような相手と付き合ったり結婚することが望ましいとされているか)という『パブリックかつ社会的な行為』としての側面も持っている。

異性とコミュニケーションすることが好きで、恋愛・性に積極的な人は『プライベートかつ本能的な行為』としての傾向がもちろん強くなるだろうが、同じコミュニティに属しているみんなが恋愛・結婚をしているから(しなければ変な人と思われそうだから)とか、周囲や親がうるさいから(社会常識・動物の遺伝子保存に照らせばそれが当たり前だから)とかいう理由が意識される人は『パブリックかつ社会的な行為』としての傾向が強まる。

その意味では、日本における恋愛・結婚には『パブリックかつ社会的な行為(既存社会に適応している常識人・一人前の人と認められたい動機)』としての側面が強くあり、みんなが当たり前の行為としてできていることを自分だけがしないことは恥ずかしいという意識がなければ、『恋愛・結婚の参加率』は低下しやすいとは言えるかもしれない。

日本では今でも男性が勤労所得の大黒柱となるジェンダーの影響力は強いので、働き始める年代になれば『正規雇用の就労率』と『恋愛・結婚の参加率』にも一定の相関はあると思われる。

10~20代前半の学生の恋愛離れの要因としては『元々恋愛に不向きな人が何度かの失恋を経験したりで無理をしてまで参加しなくなった=恋愛市場の格差化・クラスター化』や『恋愛以外の興味関心の対象が増加・多様化した=恋愛・異性の優先順位の相対的低下やバーチャル及びポルノの氾濫』、『恋愛相手に求める理想化された条件・特徴と現実の異性との乖離が激しくなった=メディアによる理想の上昇(情報過剰による異性の幻想の崩壊)・他者を拒絶する自己愛の高まり』も影響しているのかもしれない。

現在では恋愛とは何なのかの定義も難しくなっているが、お互いに共通点(相手への配慮)があったり会話の相性の良さがあったりする異性とであれば、付き合う付き合わないは別にして、何気ない雑談でコミュニケーションするだけでも結構楽しいものではある。

それくらいの浅い付き合いであれば決定的な対立点や相性の悪さ、経済的な負担も出てこないだろうし、学生時代であれば同じ学校・部活・サークルに所属している(新入生同士)というだけでもそういった軽いコミュニケーションを取れる相手との接点は見つけやすいわけだから、その環境・人間関係を活かして知り合いや友達程度(大人になって既婚者も増えるとちょっと連絡してお茶でも飲むような男女の友達関係をゼロから作ることは容易ではないし、男女で時々会う友達というような観念自体を持ちづらくなる)から仲良くなれそうな相手を探してみるのも良いのではないかと思うが。