大人っぽく見える子供(精神年齢が高く見える子供)の心理:現代で大人になることの難しさ

大人が設定した『社会的に望ましい早熟な子供像』に上手く適応した状態で、『精神年齢の上昇』とは異なる。『何をやれば大人が喜ぶかの枠組み+子供として評価してくれる大人』があるから大人っぽく振る舞いたくなる。

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現代社会では『相手・状況に対する適応水準としての大人らしさ』はあるが、厳密な意味で『大人としての精神的な成熟』は殆どない。そもそも論としては戦前・戦後でさえも『社会やイエの規範・慣習・寿命(広義の世間と運命)に要請される大人らしさ』があっただけの面もあり、『個人の意識・価値判断の成熟』とも異なる。

子供が見せる外見的な『礼儀正しさ・言葉の丁寧さ・気配り・知識の多さ』は、『親の育て方,愛情・賞賛・規範の示し方』が良い方向に影響してる現れで、幼ければ幼いほど行動主義的なオペラント条件付けに近い。大きくなって環境・人間関係や評価される基準が変われば、一度身に付けた大人っぽさが失われる事もまた多い。

その場面や職務、人間関係で要求される『成熟・洗練した振舞いや話し方(周囲が認める振舞い)』をする事自体は、平均的知性がある人にとって実はそれほど難しい事ではない。ある程度の水準のサービス業に従事する人も『仕事モードの上品・洗練された振る舞い』と『私生活モードの砕けた振る舞い』を日々自然に使い分ける。

『よそゆきのパブリックな自己像』は政財界や芸能界などに典型的だが、彼らはメディアでは『社会的に望ましい人間像』を演出するが、子供はより『その時点においてやるべきこと・評価されること』が明確で『大人びている・きちんとしている・ませている』は大人がつい評価したくなる早熟な子供像のテンプレでもある。

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