清原和博選手の薬物による転落:斉の孟嘗君(史記)のエピソードを思う

一流選手の挫折には伊良部氏の自殺があったが清原氏も一時自殺寸前までいったという。華やかな生活・名声・人脈・結婚からの転落と人間不信は辛いが自殺や薬物の逃避から何とか立ち直って欲しい。

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多くの有名人や落伍者が、脳に直接的な快楽・陶酔・高揚をもたらしてくれる薬物に逃避する。何も頑張らなくても使用するだけで心地よくなれる薬の誘惑は、精神状態や過去の使用歴によっては耐えがたいものになり得る。だからこそ一回も使用すべきでないし薬物を使いたくなる心理・環境・人とのつながりが既に自滅的である。

違法薬物を使用する者は、不可避的に『嘘をついて生きる人生』を歩まざるを得ず、清原和博氏もその例外ではなくテレビ番組で『薬物使用歴はないとの嘘』をついてその場しのぎをしたが、嘘をつく生き方というのは必然に自尊心と前向きな意欲を奪い取っていき、自己嫌悪から更に薬物に依存する認知を再生産するリスクを孕む。

嫌な事・失敗した事や情けない自分を克服してもう一度やり直すのではなく、脳の化学的状態の変化で忘れたい(意識すらしたくない)という動機づけは、違法薬物の誘惑を強力なものにする。自殺するほど逃避機制の苦しみが強いと、問題を直視することが不可能になるので、医療や福祉に頼る必要も出てくる。

清原氏は落ち目になったらそれまでちやほやしていた人が離れていったという人間不信を何度か口に出したが、古典から学ぶなら是非『史記列伝の孟嘗君』を読んで欲しい。孟嘗君の後半生は正に孔子のいう『人知らずして慍みず』の君子・侠客の人生訓の実践で、人が己を慕うか慕わないかは他人のせいでなく己の人徳次第なのだ。

斉の孟嘗君は、三千人の食客の生活全般の面倒を見ていた名士であり侠客の親分だが、宰相の地位を追われ財を失うと三千人の食客が掌返しで去っていった事に恩知らずだと憤った。無能を装っていた客・馮驩は『富貴なら士人が集まり貧賎なら友が去るのは生者必衰と同じく世の道理で、食客を再び集めて厚く遇せよ』と諌めた。

戦国時代らしい人間関係の功利主義を前提にするが、他者の功利を許してなお『来る者拒まずの侠気』を示すことが孟嘗君を利すると知っての諫言。絶体絶命の危機を救った『鶏鳴狗盗』も無能とされた食客さえ養った孟嘗君の器量の現れで、去った三千人は元々食えない食客であり、財なければ去るのは薄情ではなく道理だと説く。

孟嘗君は、斉王に謀反を疑わせる政略に掛かり宰相を罷免されたが、そこから『孟嘗君の稀有な価値』を再び斉王に認めさせた食客中の最高の策士が馮驩(ふうかん)だった。その馮驩も孟嘗君の元に食い詰めて頼ってきた当初、『貧乏・無能・厚かましい要求(何もせずに食事・馬車・家の要求)』が揃った穀潰しに過ぎなかった。

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