バーチャルリアリティ(VR)の進歩は『現代人の孤独・無力・宗教の喪失』を救うのか?

バーチャルリアリティ(VR)がアダルトに応用される展示会に応募者殺到で入場制限というニュースは苦笑を誘うが、脳に『現実感覚』を錯誤させる仮想現実の技術が究極的に進化した先で、『ネット(ゲーム)依存症・ドラッグ』を超える『リアルからの退却(ストレスフルなリアル滞在時間の減少)』が社会問題になりそうだ。

VRが究極に進歩した未来を描いた映画『マトリックス』では、エージェントが『こちらに留まれば思い通りの仕事も豪華な食事も最高の女(男)も思いのままなのに、お前は貧しくみすぼらしいあちらに戻って何がやりたいんだ』と誘惑しスキンヘッドが裏切る。薬物・不倫・心中もあちらの誘惑に屈しやすい退却的世相の反映か。

『こちらとあちら』という二項対立概念は非常にメタフォリカルで誘惑的なものであり、リアルとバーチャルといっても良いし、物理世界と精神世界でもあり、仏教の此岸(この世)と彼岸(あの世)に遡ることもできる。世俗と神聖(宗教・神)さえ、太古から人間が頭の中で思い描いてきたアナログなVRによる心の救済だった。

太古からの人類は、自我意識の芽生えと共に知覚される物理世界とは別の『精神世界』を持っただろう。長く人類の精神世界は『宗教・昔話(物語)』によって、リアルで疲弊し生きる意味を見失いかけた人心を救済してきたが、近代化で『神の死』が宣告されたことで、人の精神はより薬理的・技術的な直接の陶酔を志向し始めた。

バーチャルリアリティー(VR)というと、かなり現代的・先端的なイメージだが、実際は類人猿から分岐したホモ・サピエンス・サピエンスが『自我の発生・世界の淘汰圧』を自己認識した時から持つ普遍的想像力に依拠している。神・天国・霊魂のVRが弱まり、技術的な脳制御のVRが強まる未来、人はどんな世界にいるのか。

現代は『人権・包摂』と『厳罰化(他者不信)・排除』の葛藤を生むが、死刑廃止の近代法では更生困難な凶悪犯罪者・テロリスト・犯罪性のサイコパスなど『構成員と再承認しづらい異質な他者』の処遇が難しくなった。VRは脳内での演習効果があり、娑婆に出せない再犯リスクの高い人への教育刑や人道的な長期拘束に応用も。

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