稲田朋美氏の防衛相就任:稲田氏の国家主義的・復古的な国民を服属させる国家観に対する懸念

稲田朋美氏は戦前の国防婦人会の如き国家主義・軍国主義・臣民を掲げ、戦後の『国民主権・人権と自由・個人主義』を否定する。旧弊的な国体を復古させ人権軽視の臣民体制を是とする人に防衛相の資質があるか。

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稲田朋美氏は日本会議にも関係する典型的な民族右翼であるが、思想的に近い安倍首相の引き立てで自民党内で首相の座も狙えるポジションに上り詰めた。だが『歴史観・政治観・人権意識』が現代にチューニングされておらず、国民を兵力として道具化する戦争機械の近代国家を普遍化し、大日本帝国を戦後日本よりも賛美する。

安倍首相にしても稲田氏にしても『戦後レジームの脱却』といいながらその内実は『戦前レジームの復古』である。国民の個人としての人権と自由を制限し、国家・国体に帰属して納得して死ねる臣民を復活させたいようだ。なぜ戦後日本の進歩を捨て、中国のような権力者に都合の良い旧体制に戻らなければならないのか。

稲田防衛相は日米同盟を基軸とする安保体制を強化するとし、普天間基地移設問題にも当たるが『東京裁判史観の否定+アジア太平洋戦争の肯定+戦死合意の靖国神社の機能』を語り、米国の歴史観と対立している。国体さえ残れば一億国民が玉砕しても構わないとした国民軽視のA級戦犯と世界観が近い怖さがある。

国家主義のリスクは全体主義への傾斜だ。中国・北朝鮮のように『国家利益の拡張・仮想敵との戦い』があれば個人一人一人の自由や権利、人生の価値はないも同然で、国家権力が国民の命を究極的に所有・管理するとする立憲主義や国民主権の否定にもつながる。稲田氏は個人の幸せや喜びを重視する型の思想は表明した事がない。

安倍首相や稲田防衛相の国家権力強化と絡む歴史観や人間観の問題は、どの発言を取り出しても『個人の視点・自由』に言及しておらず、『国家の目標・利害』の前では個人は無条件に服従し忠誠を尽くすのが本来のあり方という身分意識が透ける。人権のある『自由な個人』の概念が嫌いなのか、憲法草案では『人』に変更した。

アメリカの東京裁判史観を否定して、GDPで日本の2倍となっている中国に対話を軽視した強硬姿勢(譲歩の余地なし・やるならやる)を貫くとすれば、それは戦前の日本が日米戦争で犯した過ちを繰り返す愚策となりかねない。歴史に学ばず夜郎自大となって権力の座に酔い国民を煽れば、政治の過ちは国民の惨禍となって返る。

戦前日本の敗因は、彼我の戦力を冷静に比較することが苦手だったこと、国民の生命を大切にせず使い捨てのような戦術を採用し続けたことである。国民教育やマスメディアを介して国民の戦争肯定・英米憎悪の感情を煽りに煽って、軍部も政府も『想定以上に勢いを持った民意』のうねりに呑まれた。政権・政治家による不穏な空気醸成(戦争しか外国との対立問題を解決できないという訴え)は自滅への道だろう。

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