ダウン症の人は9割が主観的に幸せを感じているという調査:知能・情報・自我と主観的幸福度の歪な相関

自意識がシンプルで物事を概念化・数量化して比較しないダウン症・知的障害の人の主観的幸福度は高い傾向がある。一般に『高度に抽象化された自他の認識・価値判断』で考えすぎる人は苦悩するもの。

ダウン症の人、9割が「毎日幸せ」 厚労省が当事者調査

『考えるな、感じろ』『シンプルに感覚・欲求の知足で生きろ(具体的な目前の目標・楽しみに集中)』は、確かに主観的幸福度を高めるテクニックだが、主観と客観がどうのという概念操作の思考そのものが『なかなか複雑な頭・自我(理屈好き)の持ち主の証』みたいなもので一朝一夕に思考と感覚をシフトできるものでもない。

生きる姿勢や頭の使い方を変えること自体はできないわけではないが、知識・情報・思考はある種の精神的ドラッグ、見える世界と概念を広げる快楽もある。主観的幸福の対価をある程度支払ってでもそれを齧りたい『禁断の果実』の面もあるから、苦悩を超えてサバイブできれば『分かる人だけ分かる境地・妙味』もあるだろう。

健常者は『言語・情報・数字の知覚』に主観的幸福度を揺さぶられる存在でもある。ダウン症の人が主観的幸福度が非常に高いのニュースを見て、ダウン症の人・家族を社会負担等で否定したい思いが湧く人もいるが、それこそ『知による無明』だ。知能が高いほうが幸せであるべきの抽象化思考は相対的優劣で幸不幸の実感ではない。

知識・情報が少なく自意識がシンプル、相対比較にこだわらないのは『自分が他人からどう見られているかの見栄・承認・優劣の競争やネガティブな想像力』から自由なのだ。多くの人は『知による無明』と『客観的な能力・状態の比較』から自由になれず、主観・感覚を知で色付け・解釈し勝手に劣等感や不遇感、無意味感に嵌る。

乳幼児期から思春期にかけての知能発達とは、主観から客観への認知の拡大であり、具体的思考から抽象的思考への概念操作能力の上昇である。知的障害がない人にとって『客観・抽象的思考の獲得』というのは、能力の向上・責任の増大であると同時に、イノセンスでシンプルな幸せ・連帯を感じにくくする自意識の肥大でもある。

知能が高いほう(地位・所得が高いほう)が幸せであるべきとか、道徳的に正しく真面目なほうが幸せであるべきとかの具体的現実と異なる論理・倫理の抽象化思考が、現代人を理不尽な思いで苦悩させる原因にもなってきたが…『比較・優劣・差別』は『知・自我の毒』であり、その解毒の充足感が『今・ここでの専心』である。

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