タイのワチラロンコン新国王の即位を受けて受刑者に恩赦:恩赦の思想は現代日本では受け容れられにくい

君主のいない共和政では『恩赦・特赦』はまずないが、タイでワチラロンコン新国王の即位を受け受刑者に恩赦が与えられるようだ。恩赦で禁固三ヶ月未満の微罪の者、健康不安のある者が約3万人釈放される。日本の犯罪者嫌悪の空気では『恩赦の考え方』に納得できない(君主の祝祭と個人の犯罪は別だ)という人も多そうだが……。

日本人の多くは『ギャンブル・恩赦・生活保護』が嫌いなのはなぜかの疑問は、共通の歴史的・社会的な空気とパーソナリティを規定する『自己責任・因果応報の公平感(ズルさの嫌悪)』に行きつく。だが『労働だけしか収入が得られない・犯罪は絶対許されない・貧困に落ちれば終わり』も世知辛いが為に特例・抜け道もある。

恩赦・特赦というのは『世界の法を定められた王権の歴史的残滓(賞罰を与えられ変えられる力の顕示)』に過ぎないが、『原因があって結果があるという合理的な因果法則』だけに人が絡めとられない特例を作ることで、『人生の絶望・諦めの救済の隘路(何が起こるか分からないよの救い)』を意図的に作っている部分もある。

真面目に勤勉にコツコツ努力し、正直に誠実に生き、犯罪を犯さず人の道を踏み外さないまっとうな人が報われるべきというのは『常識・正論の自己責任論かつ因果応報論』だが、親鸞の悪人正機のように『ダメな人でも想定外の救済や支援が有り得る』により、不完全な人・社会の今の先にある絶望が緩和され得る仕組みだろう。

一攫千金のギャンブルにせよ、特例的な受刑者の釈放にせよ、最低限の文化的生活の人権保護にせよ、それらの多くは『弱者・挫折者・犯罪者に見せるある種の幻想的・刹那的な救い』に過ぎないといえばそれまでだが、人間の人生・社会・法の背後にある『不完全性・不確定性・絶望』はやはりどんな人でも時に酷く重くなるものだ。

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