憲法改正すると徴兵制になるのか?:国家権力を徴税権と徴用権(徴兵権)の歴史から考えてみる

改憲で徴兵制になるかもしれない疑念が強くて政府が信用されてないなら、9条改正で3項に日本国は志願制の国防軍を有するが国民を徴兵することはできないと条文追加しておけば良いだろう。

【書評】マスコミに騙されるな。憲法改正でも徴兵制にならない訳

古代から国家権力が持つ二つの大きな強制力は『徴兵・徴用』と『徴税・収用』である。この二つは言い換えれば『人間に対する支配』と『土地・生産物(貨幣)に対する支配』である。近代の国家権力は総力戦を経由して、人権保護が強化され『国の人間に対する支配』に立憲主義的な制限がかなり加えられるようになった。

徴兵制に対する価値判断は歴史を遡れば一義的なものではない。国防は古代から中世にかけ『義務・苦役』というより『権利・名誉』で、戦闘を任務として装備を自弁する戦士階級(騎士・武士)は支配階級を構成した。市民革命で王政・貴族政治が打倒され人民主権が確立した後も暫く『国防軍=市民・人民の名誉』に近かった。

第一次世界大戦における大量殺戮兵器・兵員の大量死の登場から、戦争に参加する国民は『権利・名誉』よりも『使役・犠牲』を意識させられやすくなった。近代兵器の普及以後は『愛国心教育・仮想敵国への憎悪』で『個人の勇気・武芸の無意味化(マスで戦ってマスで死ぬ現実)』をカバーしないと徴兵は忌避されやすくなった。

日本国憲法の9条の先進性は、先進国でも究極的には『国家権力が国民(個人)の生命・身体・行動をその意に反してでも支配できるという強制力』をかなりの程度まで否定したことで、『国家が人民・集団を戦争目的で支配できること(拒否しないよう威圧・投獄できること)』が独裁国家・途上国の戦争や軍人支配の原因にもなる。

国家権力・公権力の古代的な原型として日本では『公地公民制・班田収授法・荘園制』があるが、これは端的に『日本国の土地と人民は天皇・貴族・寺社(支配階級)の所有物であることの宣言』であって、公権力と土地・人民の支配の結びつきは江戸時代に至っても強く、島原の乱を誘発した苛斂誅求な重税・虐待等も横行した。

現代の先進国の多くは国民に対する強制力を『徴税・裁判』以外にはほとんど行使しなくなったが、20世紀半ばまでは徴兵・動員や私財の収用をはじめ人間を直接に支配できる権力の発動は珍しくなかった。豊かになるほど、人は一般に徴税(財物の一定率の取立て)より徴用(生命のリスク・身体拘束)を嫌いやすくなる。

逆に貧しくなるほど、人は徴税に耐えられなくなり、ある程度のお金になれば徴兵・徴用を求めるようになることもある。格差拡大・貧困層によって米国で半ば意図的に行われているとされる『経済的徴兵制』だが、主観的な豊かさや余裕度によって人の動機づけ・価値観は如何ようにも変わるのも、歴史から学べることである。

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