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就活の後ろ倒しでは軽減されない学生の負担と新卒採用キャリアの人生設計への影響度

就職活動の長期化によって、学生が本業の勉学に専念できなくなったり、長引く就活の精神的ストレスで疲弊したりといった問題が長年指摘されてきた。経団連はそういった就活関連の批判・苦言に対処する方策として、『就活の後ろ倒し』を提案してきた。

経団連加盟の上場企業は、就職説明会を12月から3月に、実際の採用試験・採用面接を4月から8月にずらしたが、これは飽くまで『経団連加盟の大企業』に限定された弥縫策ではある。

特別な専門家・資格職を除いて、新卒一括採用と企業内教育(大学の教育内容の無評価)によって、オーソドックスなキャリアパスを積み上げていく日本企業の雇用慣行は、特に年次主義の残る大企業において顕著である。

なぜ就活がここまで激化するのかの理由は、新卒段階で入社していなければ『非専門職・非即戦力(他社で相応の技能・職責・実績を積んだ者)以外の中途採用の門戸』は非常に狭いか閉ざされているからである。

総合職的な企業の各部門の中枢に近づける昇進・昇給のある働き方を求めている学生の多くは、『就活・新卒採用枠』にこだわらざるを得ない長期的キャリアに影響する慣行があるため、就活時の競争圧力や将来不安も関係するストレスは強くなってくる。

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“就活の後ろ倒し”と“学校と仕事の連続性+学業と仕事の切断性”

学生の本文である『学業』に専念する時間を確保するためという名目で、就活の会社説明会が3ヶ月、採用選考が4ヶ月後ろ倒しされて、就活シーズンが春から夏にずれ込んだ。

最近は、大学機関を国際的・専門的なエリートや総合的な教養文化人を育成するための『G型大学』と実務的な職業訓練・資格取得をメインにして即戦力の人材を育成するための『L型大学』とに分離すべきという大学教員の識者の意見が出されたりもして、『大学生の学業』というものの本質や目的が見えづらくなっている。

大学進学率が上昇して大学教育がコモディティ化するにつれて、大学は『高等教育の府』から『学校階層的な就職予備校』へとその性質を変えていったが、L型大学構想は一部のエリート養成大学を除いて、かなりの部分を資格取得や実務経験を重視した専門学校に近いよりニーズのある職業訓練学校に鞍替えさせていく構想でもある。

リベラルアーツ(教養人の知的基盤を構築する自由技芸)を必修化した本来の大学教育には、『政治・経済・社会のシステムを俯瞰して批判的に分析して再設計できる知識と思考の基礎づくり』の目的があった。

そういった知識・考察力と人間性の裏付けを持った上で『高度な専門性と実務的な職業能力の段階的な修得(官吏・研究者・専門家・企業人などキャリアのベースは分離するにせよ)』が目指されるべきとされていた。

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週休4日の緩い就職・会社が人気化:労働時間を減らすか生産性を高めるか、好きになれる仕事を見つけるか?

『生産性・利益率・自動稼働率(ウェブ化)・人材の互換性(交替勤務)・資本』のうち幾つか要素が揃えば週に何日働くかは本質的ではないが『好きになれる仕事』なら週6~7日でも苦にならない。

人気化する「週休4日」の“ゆるい就職” 夢の働き方か、単なるリスクか

仕事が好きになれない、できるだけ出社したくない気持ちでやれば、週休4日勤務で気持ちがだれて余計に行きたくなくなる気もするが『高額の時間給を得るだけのスキル・キャリア・人材価値』が持続的にあるなら必要な金額の分だけ働けば良い。あるいは裁量労働・在宅作業・出来高制ができるような半フリーの職種を探すか。

週休1~2日でフルタイムのサラリーマンとして適応して働くメリットは『やる気のある人材として企業での年功・勤勉・実績が認められる(一般企業での職種職位のキャリアパスの連続性がある程度担保される)+上場企業なら人並みの給料で安定する』ということだがそのメリットの重みづけや自分の能力を各自で考える事が大切だと思う。

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大卒前提の子供の教育費高騰は、『非機能的な孔雀の羽根』の華美化のようなものか。

希望すれば(どこの大学でも良いのであれば)ほぼ全員が大学に進学できる『大学全入時代』と揶揄される現代では、『大学に行くことの利点』よりも『大学に行かなかったことの特殊な事情・要因』に注目されて不利益を受ける恐れが高まってしまった。

2千万円以上かかる子育て費 捻出に重要な「貯め期」は

つまり、それほど頭が良い人でなくても(平均レベルかそれより下の学力の人でも)それなりに学校に適応して勉強していれば、どこかの大学には入れたはずなのに行かなかったのはなぜなのかという痛くない腹を探られやすいという心情的ハンディがある。単なる形式的な学歴の資格要件というのは『本人の優秀性・有能性』を評価するものではなく『本人の意欲・家庭環境(経済状況)・交遊関係の特殊的な問題点』を勘ぐるような基準を背景に持つ文化階層主義的な趣きを持つ。

例えば、パチンコ屋のホール作業であるとか営業事務・警備員・工場作業であるとか、その仕事内容そのものに学力・知性の高低が何ら影響しないと思われる仕事の募集であっても、応募資格に『高卒以上』と書かれていて中卒者の応募を未然に排除しているケースは少なからずある。中卒者でも真面目に働く意欲があって素直に学ぼうとする性格であれば、こういった仕事への職業適性は相当あるはずなのだが、なぜか企業の多くは門前払いを喰らわす。

それは現代では高校に行くのは当たり前という価値観が極めて強いために、『敢えて高校に行かなかった(行けなかった)理由』を様々に推測するためで、高卒者のほうがより無難な採用に感じられるので、『人物評価のコスト』を節約したいからである。

中卒者と高卒者の双方を比較して、その具体的な人間性までは到底面接で評価しきれないが、高卒者のほうが『社会の平均的な価値観・常識』に沿った性格・生き方である蓋然性が高いと推測すること(9割以上が高卒以上でありそれに合わせているから)で、そこに足切りの意味での資格要件が設定される。高卒者の割合が5割を切っていた1960年代頃までは、それなりの規模の一般企業でも学歴による足切りはなく、中卒ですぐに都市部に出て就職し、それなりの昇進ができた者も少なからずいる。

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