広島県の女性集団暴行死事件と『家庭機能・学校‐就職の経路・共同観念』を喪失した少年少女の集団心理:2

現実社会の法律や常識、職業選択と対立する『不良集団(非合法活動に関与する集団)』は、一般的に『仲間の大切さ・裏切りへの制裁』を絶対的な規範にすることが多く、『仲間内でのルールや貸し借り』を『一般社会の法律や常識』よりも優先してしまうことが多い。

この記事の内容は、前回の『広島県の女性集団暴行死事件と『家庭機能・学校‐就職の経路・共同観念』を喪失した少年少女の集団心理:1』の続きになっています。

自分の行為が社会においてどのように認識されるのか、法律によってどのように判断されるのかを考えるのではなく、『仲間集団においてどのように認識されるか・仲間の価値観やルールに合っているか』のほうにより上位の価値観を与えてしまうということだが、こういった心理は極端な違法行為の免罪や認識する視野の狭窄を抜きにすれば、『身内・仲間・知り合いの言動に配慮する,その場の支配的な空気に同調してしまう』という形で誰にでも見られやすいものではある。

本来であれば、親とのコミュニケーションや学校で教育される社会の仕組みにまつわる知識・情報、他者と意見を取り交わす体験を通じて、『社会構成員に一般的に通用する共同観念』を形成していくものである。

しかし、上記してきたような『家庭機能の低下・学校教育からのドロップアウト・早い段階での経済的自立の圧力(親・教師の保護や指導の欠如)・スキルや資格による就職の選択肢の放棄』などの要因があると、『法律・倫理・政治・常識・慣習といった社会全体で通用する共同観念』を身につけることができず、『自分の周囲にいる仲間との関係性・利害関係』の中だけで生きているような『現実認識の視野狭窄(広い社会や一般的なルールが全く目に入らない友人関係の生活様式にはまり込む)』が起こってしまう可能性が非常に高くなる。

現代日本ではかつて浮浪児と呼ばれたようなストリートチルドレンを見かけることはまずないが、『家庭・学校・職場における居場所や自分の存在意義(まっとうに働く意義)』を見つけられない少年少女が社会を漂流し始めている状況が生まれている。『お互いの必要性・役割分担を認める仲間』に経済的・精神的に依存することによって、『集団内の力関係・ルール違反・同調圧力』に異常にセンシティブにならざるを得なくなり、『集団の外部の立場・目線』からすれば、たったそれくらいのことで(そんな仲間なら切り捨てれば良いのに)という馬鹿らしい理由で集団暴行・殺人(粛清)に及んでしまうこともある。

テクノロジーの進化とグローバル化の進行が、ますます『労働市場で一人前として扱われるハードル・教育コスト』を引き上げているのだが、子供を育てる親世帯の平均所得は低下を続けて、子供の教育格差(親から受ける教育投資・経済社会の仕組みやノウハウの伝達の差)も開く傾向を示している。

『社会全体で通用する共同観念(法律・倫理・常識)』を子供たちに教えて身につけさせていくためには、『既存社会で頑張れば報われるというモチベーション(違法なハイリスクのビジネスに手を染めない生き方の魅力や努力の価値)』を現実的な選択肢として提示できていなければならないだろう。

広島県呉市の集団暴行死事件では、被害者となった女子生徒も性風俗の違法ビジネスに参加しており、『制裁型・加虐型の集団心理』が暴走するトラブルに巻き込まれたのだが、『悪友化していく凝集性・同調性の強い仲間関係(途中離脱すれば制裁を科されそうな仲間関係)』からどのようにして早く抜け出せるのか、初めから関わらないようにできるか(悪友関係に頼らないライフスタイルを再確立できるか)も『個人レベルの子供の自衛策』としては重要な課題である。

親も学校も企業も社会も信用しなくなり(一般的な就労のキャリアからも早くにドロップアウトしてしまい)、違法ビジネスや迷惑行為も厭わないような仲間関係に呑み込まれ抜けられなくなっていく『漂流する少年少女(職能・雇用・基礎知識がないために仲間だけを頼りにせざるを得ない少年少女)』に対して、社会や大人がどのような脱出経路・再チャレンジの機会を与えられるのだろうか。

それまでの家庭環境・友人関係の影響もあって、視野狭窄や知識欠落、悪友との恒常的な同調心理(仲間さえいれば外部社会は関係ない)に陥っている当事者の心理からすれば、そう簡単に解決できる問題ではないが、家庭からも学校からも職業からも早い段階で見捨てられるような少年少女が増えることは『本人・社会にとっての未来の禍根(後になって生活困窮・社会不安のようなツケが回ってくる)』になることは確実で放置し続けて良い問題でもないと思う。