『昭和の戦争』を生んだ“国民(庶民)の経済的困窮”1:右翼の国家改造・左翼の共産革命

関東軍の野心が暴発した“満州事変(柳条湖事件)”から始まった泥沼の『日中戦争』、経済包囲網に耐え兼ねた日本の“真珠湾攻撃”から始まった『日米戦争(太平洋戦争)』、現代の日本の歴史認識と国民アイデンティティに根深い影を落とし続けるこの二つの戦争のそもそもの原因はどこにあったのか。

今から思えば開戦そのものをしない選択もあったように思えるし、『一億玉砕・総動員体制』の狂気に国家全体が駆り立てられる前に戦争のどこかの段階で引き返しておけば良かったようにも思える。だが、当時の日本国民、特に貧しい農民・労働者・兵士の多くは圧倒的に天皇制(皇国思想)の下の戦争を支持する右翼的なメンタリティを持っており、昭和初期の右翼国家社会主義運動(国家改造運動)に突き動かされる形で『政党政治の民主主義』よりも『軍部主導(軍人内閣)の軍国主義』を望んだのである。

日本の戦争を理解するためには、現代とは全く意味合いと影響力が異なる『右翼』と『左翼』と『軍』を知らなければならないが、まず途上国・新興国の多くでは現代のエジプトやミャンマー、トルコなどを見ても分かるように一般大衆のレベルで『軍に対する親近感・信頼感』が『政治家に対する親近感・信頼感』よりも強いということを抑えておかなければならない。

端的に言えば、かつての大日本帝国時代に『昭和恐慌の経済破綻・スタグフレーション・失業』に喘いでいた国民は、大衆の貧窮・飢え・苦境を放置して私腹を肥やしている政治家と財界人の腐敗を憎んでおり、軍部に『政治とカネの結びつき』を断ち切る正義・天誅の役割を強く期待していた。

政治家と資本家の腐敗に対置する形で、軍部とその統帥権を掌握する天皇の清廉(庶民を大切にする恩愛)を信じたいという思いが大衆にあったという基本図式を理解しないと、なぜ当時の『血盟団(井上日召)』を嚆矢とする右翼団体が、昭和初期にあれだけのテロ事件を繰り返し行ったにも関わらず庶民が同情的だったのかが見えてこない。

財閥と結託する民政党と政友会の政党政治家が、日本国民の多くの支持を既に失っており、『形骸化した民主主義政治』が一部特権階級のカネと利権だけによって運営されているという不信感が危険な水準にまで高まっていた世相があった。その結果、財閥・企業と癒着するような腐敗した庶民を無視するような立候補者しか政治家になれないという怨嗟が渦巻き、『暗殺・テロ・戦争による国家改造や難局打開』に共感あるいは期待する国民も少なからず生まれてきていた。

昭和初期の右翼と左翼の思想と行動理念は『天皇制の国体に対する賛否』を別にすれば、一般庶民(貧しい農民・労働者)の暮らしを少しでも楽にするために、『既存の腐敗し堕落したカネがすべての政治体制(政治家と財界人の癒着によるカネが第一の弱腰外交)』を暴力的に打ち倒すという考え方で一致していた。

右翼にいわせればそれが『昭和維新・国家改造』であり、左翼にいわせればそれが『共産主義革命・階級闘争』であるという思想的な概念の表現の違いがあるだけで、そこに流れる心情は国家を私物化する特権階級を除いて戦争によって低迷する国運を切り開き、一般庶民の暮らしを豊かにするというある種の『純情・真面目過ぎる心情(自己犠牲の破滅的テロリズム)』であった。

右翼は戦争肯定、左翼は戦争反対という違いもあったが、当時の右翼は植民地経営とか資源略奪とかの経済的利益(カネ)のための戦争というよりは、国内で食えなくなった一般庶民を食わすための新たな市場と雇用を開拓するために外に拡張する他ないという考え方をしていた。

右翼も左翼も庶民も、経済的な動機や通商・投資による『金儲け』というのが嫌いな時代の空気があり、『カネ儲けは腐敗(強欲で汚い)・軍事は清廉(純粋で潔い)という思い込みの価値観』がある意味では日本経済を軍備拡張による破綻に導き、国民を経済活動よりも戦争への協力に駆り立てていった面もある。

右翼も左翼も共に資本主義経済と民主主義(政党政治)を否定的に捉えて嫌っており、現在のような『小さな政府+市場原理主義=右翼』『大きな政府+社会福祉政策=左翼』というような分類もなく、右翼も左翼も腐敗した強欲な特権階級を排除(暗殺)して国民全員に等しく豊かさを分け与える『国家社会主義』とでもいうべき思想を持っていたのである。