小学校教員の男子児童に対する事件に限らず、

子供を狙った性犯罪や未成年者略取・逮捕監禁などの事件が、ここ数ヶ月で何件か連続して続いた。神奈川県相模原市で、犬の散歩をしていた小学5年生の女子児童が行方不明になった事件も発見当初は『何も覚えていない・何があったか分からない』と本人が語っていたが、その後に略取・逮捕監禁事件であったということが伝えられた。

ピザの宅配記録や東京町田市の地域で夕方に流される音楽などの手がかりから、容疑者の30歳の男が浮上して逮捕されたというが、保護された当初は事件のショックやトラウマから何も話せない心理状態に追い込まれていた可能性が高く、事後的な心理ケアやカウンセリングの環境整備が求められる。

少し前にも北海道札幌市で似たような事件が起こって、小学校3年生の女子児童の行方が分からなくなり心配されていたが、26歳の男に監禁されていた部屋に警察が乗り込んで無事に保護されることになった。少女漫画や食料品の買い込み、監視カメラの画像解析などが手がかりになったというが、それだけで犯人だとしぼり込むのは難しいだろうから、以前からその周辺地域において何らかの関連する犯罪歴か目立つ行為があった可能性もあるだろう。

幼児・小学生などに『かわいらしさの感覚・保護や指導の欲求・適切な遊び』を超えた性的(恋愛的)な興味関心や欲求を持つ人は、『ペドフィリアを持つペドファイル(小児性愛者)』である。

勤め先の男子児童にわいせつ容疑、小学校教諭逮捕 東京

俗にロリコンとも言われ、近代における異常性欲(性愛や精神の発達不全による性倒錯)の一種である。先進国ではネオテニー(幼形成熟)やモラトリアム(社会的選択の引き伸ばし)、メディア環境、性的な成熟不全(同世代の異性とのコミュニケーション不全や相互理解を深める交際経験の欠如)、慢性的ストレスからの逃避などによって、明らかに自分の年齢と照らし合わせてふさわしくない小さな子供に性・恋愛の欲求を向けてしまう人が増加する傾向にあるとも言われる。

無論、未成年にカテゴライズされる子供に対する性の完全なタブー化及び犯罪化は、近代社会に特有の価値判断なので、近代以前の中世・古代などの『極端な早婚・少年愛・稚児愛』などの現象はあるかもしれない。だが、現代の先進国では小学生以下の年齢の子供との恋愛・性を合法としたり倫理的に問題がないとしている国は存在しないし(いくら未熟な判断力に基づく合意があっても犯罪であり虐待として法的に処遇される)、子供は物理的・精神的にだけではなく性的にも親や社会、法律から保護されるべき存在という定義はおよそ先進国では普遍的なものである。

現代では少なくとも、20~30代以上の年齢の大人が、小学生のような小さな子供に性・恋愛の興味関心を向けるというのは異常(アブノーマル)なことであり、法的には犯罪(倫理的には悪)である。

こういったペドフィリアの最大の要因は『精神的発達の幼児的段階への停滞・固着(内的な幼さが残るために同世代前後の相手とだと精神的な成熟度や嗜好・話題などが合わない)』や『自己評価の低さと支配欲(他者の自由意思による拒絶・批判に対する妄想的なまでの恐怖があり抵抗力・知識の乏しい子供を狙う)』だとされる。

記事にあるような、学校の教員が自分の教え子や同じ学校の児童に『性犯罪・盗撮』を行うという事例も年に何回かは起こっているが、教員全体で見た場合には他の職業と比較しても性犯罪の発生件数は少ないほうではある。

小中高の教員を合わせて、年間に20~40件台(教員が警察に逮捕された全犯罪の件数で300~500件台)で推移している。逮捕されない暗数の性犯罪やグレーゾーンの行為、中途半端なセクハラが存在する可能性は否定できないが、小中高の教員は約90万人規模なので、その母数で月に3件程度の摘発されるレベルの性犯罪というのはかなり少ない比率とは言える。

この事件では、男性教諭が男子児童にわいせつ行為を行ったとあるが、小児性愛は一般的な大人のセクシャリティと比較すると、相手の性別を問わないバイセクシャルの比率が有意に高いとされる。普段の性指向では特にホモセクシャルでない加害者であっても、男子児童に手を出す事案が少なからず発生しているが、そもそも児童期の男女だと生物学的(外見的)な身体の性差が小さいことも関係している。

小中学校教員の生徒児童に対するわいせつ犯罪は、『発生件数の大小・全体に対する統計的な比率』よりも『保護者・社会からの信頼(最低限のルール)を破ること』が問題である。生徒を預かって正しく指導して安全に保護すべき学校の先生(教師)が自ら、生徒を自分の劣情(病的な性嗜好)のために利用したり傷つけたりすることがあると、被害を受けた子供が深刻なトラウマや人間不信に陥るだけでなく、保護者と社会の学校教育・教師に対する基本的な信頼感が毀損されるダメージが発生する。

無論、教師がすべて模範的な人間性と職業倫理、自己制御を持っているということなどを期待することはできないが、包括的な適性検査・性格検査(投影検査)・面接調査などを用いて『ペドフィリアの傾向を持つ志望者』などをできるだけフィルタリングする仕組みも必要である。

元々学生時代から小児性愛の傾向がある人が、児童生徒と話したり接したりする機会が多い教育現場で働くことによって(敢えてそういった環境を選ぶことで)、妄想的な嗜好性が行動化(逸脱化)してしまうという事例もあるが、(逮捕歴でもない限りは)現状の心理テストの精度では事前のフィルタリングはなかなか困難だろう。

初めから子供や教え子に対して、性・恋愛の欲求などを覚える素因(性的指向性)がない人が教職をするのが望ましいが、大半のケースでは(特に中高生などの年代の生徒に対して)内的な性の欲求が多少自覚されることはあっても、『教員・大人・社会構成員としての最低限度の倫理規範』と『行為が発覚して懲戒処分や逮捕起訴を受けた場合の損失を考える功利判断』によって実際の犯罪行為にまで逸脱する人は殆どいないとは思うが。