長崎県佐世保市の女子高生殺害事件とその心理要因の想定

容疑者の高校一年生の女子生徒が、なぜ親しかったとされる友人を殺したのかの動機は不明だが、それまで大きなトラブルや喧嘩が無かったと推測されている事から(そもそも険悪な仲であれば自宅にまで遊びに行かないだろう)、加害者生徒の『対象喪失・家族トラブル』に関わる心理状態の変化が関係している可能性があるのだろう。

高1女子を殺害容疑、同級生の女子生徒を逮捕 長崎

15歳の女子高生が『マンションで保護者のいない一人暮らし』というのは常識的に考えれば異常というか奇異な生活形態であり、『全寮制の高校(入寮している生徒)以外の女子高校生の一人暮らし』というのは身近な例ではまず聞いたことがない。

勤労学生もいる定時制・夜間高校であればそういった一人暮らしの生徒がいる可能性もあるが、県内有数の普通科の進学校(加害者は東大志望で成績もそれなりに良かったという)で、親がいない一人暮らしのマンションから学校に通っている生徒というのは日本全体でも極めて少ないのではないか。

マンションの外観を見ると築年数も新しくある程度の高級感もあるので、ワンルームの可能性もあるが高校生にしてはなかなか贅沢な部屋の感じで、家賃も古いアパートのような安さではないだろう。

家賃に加えて生活費・雑費・学費もかかることから、父親はそれなりに経済的に余裕があったように推測されるが、こういった生活形態を女子生徒自らが望むという事は考えにくく、仮に家にいたくない、父親の顔を見たくないなどの理由で表面的には望んだとしても、『家にいられない理由(家に自分の居場所がないという疎外感・いづらさ)』があったことが推測される。

追加報道があれば動機部分は本人から語られるかもしれないが、加害者は『学校でも友人がほとんどいない・どちらかというと暗くていつも一人でいた・被害者の女子生徒とは中学生時代から親しかったようだ』という同じ学校の同級生からの証言もあるが、基本的には母親が末期がんで闘病している期間を挟んで『学校・家庭の両面での自分の居場所』が失われていたという印象を受ける。

父親が末期がんの母親にどのような対応をしていたのかは不明であるが、母親の死亡後すぐに再婚していることから、末期がんとは無関係に既に『夫婦関係の実際的なつながり・愛情』が失われていたか、父親に別の女性がいた可能性もある。

夫婦の不仲・不倫なり情緒的に親を頼れない崩壊家庭なりの要因があるだけでも未成年の子供は非常につらいものである。そこに母親との親子関係がどういったものか不明ではあるものの、『母親の死(一般的には子供が最も頼りにしたり甘えたりする相手である)』という最大級の対象喪失のストレスが重なったことで、パーソナリティーや自己認識・状況判断が著しく歪められた可能性があるだろう。

なぜ被害者の女子生徒を殺すほどの情動の高ぶり・錯乱的な興奮が起こったのかの動機についても、『親友とされる松尾愛和さん以外の人間関係がほとんどなかったこと(自分を情緒的に守ってくれる家族・親さえいないような極度に孤立した状況であったこと)』が無関係とは思えない。

対象喪失と孤立・疎外のロジックで考えれば被害者の生徒から『今までのような親しい付き合いが今後もうできないかもしれない・少し距離を置いてそれぞれの道や人間関係を進んでいこう(高校に進学して別の相手やグループとの付き合いのほうに興味関心が移りつつある)などの話』を切り出された可能性もあるのではないかと感じた。

頼っていた母親の死あるいは母親からの虐待、両親(家)から見捨てられ放置されること(お金だけ与えられて親・家との実質的な絶縁を言い渡されること)によって、病的なパーソナリティー構造が形成されたり犯罪行為の衝動性を制御できなくなったりした事例はかなり多い。

殺人事件(暴行・逮捕監禁事件)の動機や内容はさまざまだが、加藤智大の秋葉原連続殺傷事件や市橋達也の英国人女性殺害事件、監禁王子こと小林泰剛の連続少女監禁暴行事件、竹井聖寿の千葉通り魔殺人事件などには、『母親からの虐待・金銭だけを与えられて放置(厄介者扱い)されるネグレクト・帰るべき家(血縁者)の喪失』といった共通要因が見られるが、海外の連続殺人鬼にも『母親の死・父母からの虐待や絶縁・金銭だけ与えられるネグレクト』が異常心理を形成する要因になっている事例は多い。

今回の女子高校生の殺人事件が、最愛の人を失う対象喪失(母の死去+父の裏切り)や家族・精神の拠り所を喪失するネグレクト(金銭と愛情のすり替え)と関係しているかどうかは現状では分からない部分が多いが、そういった家庭環境や親子関係、母親の死(父親の再婚・それ以前の異性関係の可能性)の影響が全く無いということも考えにくい。

単純な友人関係の口喧嘩やいざこざで殺意まで芽生えて、殺人を本当に実行するところまで発展する事例はまずない(実際にいじめ・偶発的な傷害致死・事故を除けば、未成年の友人同士での殺人はこの1件以外は発生していない)とは思う。

遺体の首と手首を切断した行為も『快楽的な猟奇殺人』であるよりかは『遺体処理・遺棄の必要性を想起したことによる中途半端な切断』という印象を受けるが、親しかった友人の遺体を即座に切断しようとした事も、遺体を隠したいという保身・隠蔽だけではなく判断能力・恐怖感が鈍麻した異常な精神状態の影響も考えられる。