後期高齢者を『熟年高齢者』と呼び変える政府案と『人生・楽しみの有限性』に抵抗するような現代の風潮

“死・末期(忌み事)”を意識させられたくない元気な高齢者が増えているのは分かるが、名称だけ『若年・熟年高齢者』と改めても『人間の有限性・医療の必要性の現実』まで言霊で変える事はできない…。

<後期高齢者医療制度>厚労相、「熟年」など別の名称に意欲

経済環境や人間関係がそれほど悪くないという前提条件はあるが、現代ほど『若さ・元気・生』が希求され『老い・衰弱・死』が忌避されている時代はかつて無かった。70代以上の人であっても老成・円熟の担い手になりたがる人は減り、若さと元気、快感を求める生涯現役タイプが増えたのは時代の恩恵だがその分、葛藤も増えた。

後期高齢者という名称が、人生の晩年・末期をイメージさせられるから縁起が悪い、気分が落ち込む、やる気が低下するというのは『言語的な暗示』として有り得る問題ではある。視点を変えれば『70~80代で閉じる有限のライフサイクル』に納得できない欲求の高まり、老年期を楽しめている人の増加でもあるか。

現在の80代以上の後期高齢者は『若い頃に戦争・貧苦・労働で苦労したが、年を取るほどストックができて豊かになった世代』である。暮らしの個人差は大きいが、老年期の公的年金の給付額(従軍者なら恩給も)が恵まれていたり家族・子孫が多かったりで、『老年期から得られる幸せ・経済状況』の継続を願うのは道理でもある。

若年層は『社会保障制度の持続性と給付への不信・不安』が強かったり、『雇用問題・未婚化晩婚化・少子化などによるコミュニティ拡張の弱さ(構成員の少なさ)』があったりで『後期高齢者になった時の豊かさ・満足・承認』のリアリティが乏しい。悲観的な見通しが強いので『言葉の暗示作用』以前の不安に絡め取られやすい。