舛添要一都知事が政治資金不正流用疑惑で追い詰められる:政治家は身分的な特権者意識を捨てなければならない

政治資金規正法は政治活動に関連があると説明可能な経費を全て認めるが、使途を細かにチェックされない政治資金は『政治特権』でもあった。だが時代は変わり、公金の流用や経費の過大請求は許されない。

今日、テレビ放送されていた『舛添都知事の政治資金不正流用疑惑についての説明会見』は、まともに記者の質問に答えない『責任回避の逃げの会見』であり、見ている視聴者はただ時間の無駄をしただけのような感じになっただろう。

舛添都知事は記者のさまざまな質問に対して、『第三者の公正な厳しい目でチェックしてもらって結果を待ちたい』『政治資金規正法に精通した弁護士の先生にお願いしている』などの決められた台詞をオウム返しするだけで自身の進退について明言を避け続けた。見方によっては都民や視聴者をバカにしているようにも見える。

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政治家の報酬や経費を大幅に削減した北欧を中心に、政治家が『一般国民より立場が上の権力者・お金を稼げる(税金を使える)職業』という旧来的な特権意識は弱められる流れがあるが、舛添要一知事の『政治家はトップエリートだから一流のサービスを利用すべき・政治資金は最大限に解釈し活用する』はその流れにも逆行する。

しかし、日本では『お金を持たない権力者は語義矛盾の意識(お金を持っていることを示さなければ尊敬や権威を得られない)』は根強く、政治家にも国民にも権力と財力はセットで得られるべきという身分制的な観念(あるいは士たる政治家は商たる経済人・高所得者に財力でも大きく劣っていてはならない)は残っている。

日本の政治家は現代においても『権力者・特権階級』であり、多くは一般国民よりも権力だけでなく財力も持つ。だが政治家という職業そのものは何かモノ・サービスを売って稼げるわけではなく、公務員と同じく公金から法的根拠に基づく報酬で生計を立てなければならず、政治資金・献金なしでは潤沢な資金源はない。

政治家は過剰な報酬を求めず清廉潔白に振る舞うべきの理想はあるが、戦後の自民党政権では『カネのない政治家』は求心力や支持基盤を持てず、『政治資金=ポケットマネー・トップエリートの特権(政治家になれば裕福になれる)』というエゴイスティックな認識を当たり前のように持つ政治家が多数生み出されたのは否めない。

近代民主主義国家の政治家は『お金を稼ぐため(浪費・蓄財するため)の職業・庶民の上に立つ権力者』ではなく、かつての徳川家や大名家のように政治家が直接『徴税権・人の支配権』を持つわけではない。舛添知事はじめ『政治家が税金の裁量的な流用が許される身分である』かのような勘違いは許されない。

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