東京・44歳母が小6長男を殺して死ぬ心中事件:子供の人権保護と親のメンタルヘルス(親子関係と歴史の悲劇)

母子の無理心中事件が続くが、自分一人では生きていけない(育てられない)『女性の孤立・離婚・貧困』を背景に、(自分が死んでしまうと)子供も一人では生き抜けずに悲惨な人生に陥っていくという『自己投影』が為されて道連れにしやすいのだろう。

<無理心中か>44歳母と小6長男死亡、帰宅の父発見 東京

父親が帰宅して母子を発見したとあるが『夫婦関係・親子関係・メンタルヘルス・経済生活』の面で自殺願望を感じさせる不安定な兆候はなかったのだろうか。出生時点で親が人生・仕事・生命に対しポジティブな認識・展望を持っていないと育児は困難になりやすいが、親が強い自殺念慮・虚無に駆られた場合、子供の保護が必要だ。

一般的に自殺・心中の動機になるのは、うつ病、経済状況の悪化、社会から取り残されて困窮を深める孤独・疎外、生活再建のために働く意志の低下などだろう。夫がいて経済生活は成り立っていたのに心中となれば『妻のメンタルヘルス・破滅的な人生観・子供の病気や障害・夫婦や家庭の問題』等が想定される。

子供を道連れにする心中事件は多くの人には無縁の問題だが、『離婚と女性の貧困・母子の社会的孤立・子供(母親)の病気や障害の悲観・核家族の機能不全』など追い詰められた状況になった時、自分と子供の未来をどう思い描いて対処できるかで変わる。破滅的・虚無的・自棄な人生観に圧倒されやすい親は注意・支援を要する。

自殺にせよ心中にせよ『最低でもこういった人生を歩めなければ不幸・こんな状況じゃ人に顔向けできない等の世間体も含む固定観念』に縛られた人が限界状況に落ちた時、リスクが高くなる。『固定観念の基準をクリアできる自分の意志・能力』が伴っていなければ、固定観念を捨てて生活の基盤の立て直しを優先しないと危うい。

心中する親は重症うつ病などの精神疾患であるという仮説が強調されることもある。精神疾患の診断は医師によって診断名が違うこともあり絶対的なものではないが、『何らかの精神状態の異常(世界観や認知傾向の歪み・混乱)』があったとは推測できる。一方、人類の歴史を見れば広義の子殺し・間引きがあり、パキスタンやアフガニスタン等の部族の結婚強制による『名誉殺人(親の決めた結婚に従わない娘を親族が殺す)』なんかも無茶苦茶な問題ではあるのだが。

子供の人格・意志を尊重しその生命を絶対視する(子供中心)という親の愛情は近代的で、この事件はまた別であるが、近代以前は『親の言うことを聞かない子・親が食えない環境』では折檻・監禁されたり殺される事もあった暗い歴史がある。儒教圏では親の為なら子が死ぬ道徳もあり子孫中心ではなかった面もある。

母性愛や親の愛情は現代社会では『犯すべからざる神聖・無条件なもの』なのだが、子供は社会的弱者としてその人権が十分守られなかった歴史(親次第で間引き・身売りもあった)が長ければこそ、第二次世界大戦後の国連で改めて『子供の権利条約』が提唱されたりもした。日本の豊かな時代の陰りもあるだろう。

社会が貧しくなり、親の経済や精神状態が悪化すれば、一番犠牲になりやすいのはやはり社会的弱者の子供である。戦後日本は母体保護法による中絶容認で『貧困家庭の子沢山の事前抑止』を行い、『高度経済成長期に少ない子供を大切に育てる文化・価値』を根付かせた事で、子供の権利・教育を向上させたのだが、同時に少子化も招いてしまった。

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