若さの価値と老いの自覚:若いというのはどういうことか?老いを受け入れられなければ苦しい

若さとは『説明・解釈・蓄積を必要としないストレートな力と健康』である。成熟とは他者との関わりや蓄積・運命・限界によって解釈される『自己存在の納得と赦し』だろう。

年をとって分かったこと 「40過ぎたら毎日どこかが痛い」「季節のものが愛おしい」

若いということは、客観的な年齢もあるが、『今の自分を大きく向上させ環境・関係を変えられる自信や体力』があるということでもあり、『過去の蓄積・しがらみ』を振りほどく力を潜在的に持つ。年齢を重ねると役割や関係、責任が良くも悪くも積み重なり、自分と他者にとっての『自己像の固定化』で保守的になりやすい。

加齢と老いは、一般に体力気力・好奇心・変化の意志を少しずつ削ぎ落とすが、そういった客観の衰えを『今までの人生の納得・家族や他者との関わり合い・今の自分でもできることや貢献できることの工夫』でポジティブに解釈し、どうしようもならないことに執着せず受容できることが、中高年以降の精神の健康の鍵なのだろう。

身体や体力・対人魅力の面では若い頃の最高のパフォーマンスを維持し続けることは誰にもできないが、経験・技術・人生観・関係性などにおいては若い人の及ばない『過去の蓄積・経験知の応用・物事の柔軟な受け止め方』もある。自分自身が認められたり欲求を充足するターンが終わり、若い世代に伝達する順番が回るとも言える。

登山をしていると、60代でも頻繁に近隣の低山を登り、時に泊まりで3000m峰を踏破する人もいるが、アラフォーでも久々の登山の翌日は結構な筋肉痛と気力停滞に悩まされる。淡々と休まずに登り続ける60代以上の人は、普通のおじさんに見えるが、日々の鍛練と健康の運に恵まれた人だ。自分もその年まで登れるか否か。

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