北海道南幌市の高校生による『母・祖母殺害事件』の殺害に至るまでの虐待的環境の経緯と報道のあり方

北海道南幌市の高校生による『母・祖母殺害事件』の減刑嘆願書(家裁送致嘆願)の報道で、『スッキリ』のテリー伊藤が女子高生を責めていた初期の意見を撤回して『掌返しのコメント』をしていたのが印象に残った。

『親殺しの事件の道徳的な評価・断罪』は自分の生れ育ちや年代・立場によって条件反射的な感想が出やすいが、『親が悪くて殺されたのかもしれない(親に殺されるだけの虐待・嫌がらせなどの相当な落ち度があったのかもしれない)』という仮定が強い人とゼロの人の違いは顕著ではある。

今回の事件では、祖母が子供嫌い(孫嫌い)で周囲にも『孫が3人もいて恥ずかしい、可愛いと思ったことがない』などと愚痴を言い、高校生が小学校低学年の頃から召し遣い(奴隷)のように朝から晩まで家事・雑用でこき使って、悪口や侮辱の言葉をぶつけ続けていたという。

思い通りにならなければ、祖母は杖や平手で孫に暴力を振るい続け、孫の住居は豪邸の隣にある『暖房もない粗末な小屋』に決められていたという。真冬には零下10度くらいまで下がる北海道の豪雪地帯なのに、暖房もない小屋で生活するというのは生半可なことではなく、いくら着込んでいても凍えるような寒さの中で生活していたはずで、真冬に寒さで死ななかっただけでも幸運と言えるかもしれない。

どうして高校生がそれまで我慢してきた侮辱・暴力・奴隷的使役に耐え切れなくなって、殺害の凶行にまで及んだかの具体的供述は得られていないが、3人姉妹のうちの姉の二人は『殺すしかなかった状況だった・耐え続けることができないあまりに過酷な生育環境だった』と妹である加害者の女子高生に全面的に同情していると伝えられている。

二番目の姉は、家庭内での祖母・母の虐待と使役、暴言に耐え切れなくなって、中学生時代に家を飛び出して、児童相談所に自ら駆け込んで『虐待されて家に居られないので保護してください』と救助を要請してそのまま自宅に帰ることはなかったというから、どれだけ家庭内が悲惨な状況だったのかが推測される。

報道の一部では、虐待をしていた祖母や母親自身も、自分が子供時代にその親から同じような虐待・使役(親のための奴隷的労働)を強いられていたという話もあり、親から子への虐待的環境・心理の連鎖が終わらずに延々と続いていたのではないかと見られている。

成績優秀で高校では生徒会の役員も務めるなどしていた高校生は、あるいは『大学受験に合格して嫌な家を出て、自分の新たな人生を歩み始めること』だけを希望にして頑張り続けていたのかもしれないが、殺害の動機として進学や自分の人生を歩むことを完全に拒否されたことも考えられる。このままずっと同じような祖母・母に従属・奉仕する人生を送らなければいけないというような宣告を受けたとしたら、それまでの女子高生の性格・態度からは予測できない凶行に走ってしまった心情も理解できるような気はする。

人間は自らの思想や体験、環境、思い入れ、固定観念などによって、ある程度まで『社会的・道徳的・関係的な問題事象』に対して条件反射的な感想を持ちやすく、事後的な学習や議論によって変更する事は難しい。

テリー伊藤やみのもんたはコメンテイターとしてあまり考えずにポンポン語ってしまうという意味で軽率だが、『世間のある層が持つ固定観念』の代理表象の言動なので、一部の世論ではその言葉が共感されたり支持されやすいのはあるだろう。

日本では保守主義や世間的な常識論は『儒教的な道徳観・国家的な統制感・個人の自由や権利の抑制(わがまま・個人主義の忌避)』と重なる。報道バラエティでもその価値観を土台にした条件反射的な感想・断罪は見られるが『客観的調査・データ分析・科学的見解などに基づく主張』は感情・道徳観が高揚せず好まれにくいかもしれない。

殺人という行為そのものは否定されるべき悪事ではあるが、『人を殺すに至った長年の経緯・境遇・心情』を具体的に知ることによって、殺す他なかった(殺されても仕方ないような酷い悪事・虐待を長年にわたって続けていた)というような情状酌量の余地が生まれる事件が少なくないこともまた事実ではあり、殺人を犯せばすべてを厳罰に処すべきとの原則論が通用しづらいケースもあるということだろう。