マスコミはなぜ犯人の卒アル写真をさらすのか?、人がいじめをやめられない原因、所沢中学2年殺人事件の雑感など

○社会的な関心と影響が大きな殺人・強盗・指名手配など凶悪事件は加害者・被害者の写真なしだと事件の悲惨な現実感が曖昧になりただの名前・文章で消費される懸念はある。

マスコミが事件報道で卒アル写真を晒すのはなぜ? プライバシー保護と「犯罪抑止」の問題 (キャリコネ – 08月21日 13:20) http://mixi.at/adfKwdH

最大限にプライバシーを保護するのであれば、連続殺人・猟奇殺人などを除いて「写真・情景・再現VTRなしの匿名報道」になる。「昨夜、東名自動車道で煽り事件が発生し、興奮したA容疑者が被害者のBさんを威嚇して殴りつけ全治1ヶ月の怪我を負わせました」の文章だけで報じられて終わり、リアリティが極端に欠ける。

加害者も被害者もどこの誰だか全く分からないということになると、ニュースの内容・事実自体への関心度・認知度も当然低くなるわけで、すべての事件・事故の報道が無味乾燥化して社会的な問題・事件に無関心になる恐れがある。被害者の名前・写真によって、事件・事故への関心度や署名数などが格段に変わるケースも当然ある

○所沢中学2年殺人事件は、広義のいじめに対する報復事件だが、加害者側に言語能力・社会性の未熟さという発達障害的な特徴が指摘されている。発達障害の有無ははっきりしないが、「(被害者少年から誘われて)我慢して嫌な友人関係を続けていて、仕返しの機会を伺っていた」という歪な関係を早めに解消すべきだった。

被害者の本郷功太郎さん(13)の嫌がらせの程度は分からないが、直接の暴力というよりは教科書を隠したり言葉でからかったりというレベルのようである。殺害されるほどのいじめとは到底言えないが、「継続的な嫌がらせ・屈辱的な関係性」などが被害意識の芽生えやすい思春期の少年に復讐心の悪影響を与え続けたのかも。

殺された少年の親御さんからすれば「それくらいのことで殺されるなど許せない・加害者少年に厳罰を臨む・自分にとっては将来が楽しみな可愛い子供だった」ということに当然なるだろうし、極端な不良や問題児というわけでもなかったのだろうとは思う。「人の嫌がることをし続ける潜在的リスク」が最大幅で振れた事件だな。

○「その人に危害を加えない」の消極的解決で良いならいじめを無くせる可能性はある。ただ固定メンバーで毎日顔を合わせる環境だと「危害を加えなくてもまともに関わらない・挨拶しない」だけでいじめの被害感は出るだろう — ヒトがいじめをやめられない衝撃的理由。「脳」がいじめを選択している? http://mixi.at/adfQZ6g

暴力暴言・恐喝・強要など分かりやすい犯罪に該当する「いじめ」であれば、いじめの指導・警告もしやすく一定ラインを超えれば刑事事件で警察の介入も有り得る。ただ女子のいじめのように目を合わせず無視してくすくす笑ったり陰口を言ったり等は、いじめか好き嫌いかの区別が曖昧で「親しく接しなさい系の指導」は難しい。

「暴力暴言・恐喝(金品強要)など危害を加えてはいけない系の指導」は、いじめの定義やその解決法が明確である意味では指導しやすく守りやすい。だが「集団内で居心地を悪くする無視軽視・陰口・村八分的な空気」などは、当事者として疎外されていることが明らかでも、それを客観的に示して改善を求める事は困難だろう。

また「目を合わせない・会話に応じない・遊びに誘わない・LINEのグループから外す(その人以外の仲間とその人について悪口を言うが証拠はない)」などがいじめとして認定されるのかどうかは際どい。「その人と性格が合わない・もう友達ではない・嫌なことをされて不快」等と言われたら仲良くしなさいの指導は難しい。

○日本のどこかで宮崎容疑者に近しい交通トラブル・暴力事件は起こっているが、林陽一容疑者も42歳で「40~50代の暴力・クレームのトラブル」の報道が目立つ。中年男性の主観的幸福感の低さも背景にあるか。 — 停車させ「殺すぞ」と殴る=傷害容疑で男逮捕-岐阜県警 (時事通信社 – 08月22日 00:31) http://mixi.at/adgkFji

40代男性は仕事・家庭が順調なら部長級の管理職で子育て等に追われる日々にもなるが、現代では非正規率・低所得率・未婚率なども上昇し、40~50代はある意味で「社会経済的・心理的・異性愛的な格差」がピークに達しやすい年代である。人によって「面白いことの乏しい世代・貧困や孤独が実感される年代」になりやすい。

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