“非常識な日本語”と“現代の日本語の語感”:正しい日本語の使い方は難しい

日本語は『身分関係の上下・立場の高低』を前提とした尊敬語・謙譲語・慣用句が多い。『与える』の物言いが失礼というのも、下位者が上位者に与えられる物・権威などない事に由来するが、『下賜=上位者から与える・献上=下位者から捧げる』は現代ではアナクロ(時代錯誤)だろう。

「耳ざわりのいい音楽ですね」という言葉、実は失礼って知ってた?

与えるが失礼なのは、『貧しい者・格下の者に余裕のある者(格上の者)が恵んでやる』というような立場の差違の語感があるからという事だろうが、現代では『感動(心理的なもの)を与える』と『モノ(財物的なもの)を与える』とでは語感が違ってきている。『何かをして上げるの物言いが嫌という感覚』と似ているのかも。

『耳ざわりのいい音楽ですね』は、日本語として自然な表現・言い方ではなくその響きに違和感がある。『舌触り・肌触りのアナロジー(類推)』の影響があり、『ざわりという音』が同じなので“障り”と“触り”の語彙の違いが切り捨てられやすいのか。『舌触りの良い料理・肌触りの良いシャツ』と同じ感覚で耳障りを使う人。

『こだわりの一品・作品』といった言い方は、現代では慣用的に良い意味で用いられるようになっている可能性が高い。こだわりは確かに『必要以上に些細なことを気にする』というネガティブな意味が初めにあるが、“必要以上の執着”が“平均以上・人並み以上の注意や改善の工夫”という肯定的な意味に解釈されていったのか。