道徳教科書検定でパン屋を和菓子屋に変更した問題:伝統文化の尊重や郷土・国を愛する態度の本質を考えたい

和菓子が『伝統文化の尊重』、パンが『舶来の欧米文化による感化』とするような道徳教育の指導要領の解釈は小手先かつ時代錯誤に過ぎないが、現代人の道徳の中核にあるべきは『自分以外の他者の人権の尊重』だろう。

<道徳教科書検定>「パン屋」怒り収まらず

人として踏み行うべき道徳教育と戦前的な国民教育の混同によって起こったアドホックな『パン屋・和菓子問題』だが、考えるべきは『パンを食べる人は日本文化を尊重してない』というような表層的な善悪(仲間と敵)の判断・決めつけをしてはいけないということである。他者の気持ちや人格の傷つきを想像して行動できるか。

『国や郷土を愛する態度・伝統文化の尊重』というのは、『自国でないものを敵視・排除する態度』や『今までになかった新しいもの(技術の進歩・時代の変化)を拒絶する心理』ではないわけで、現代の道徳は自然な郷土・文化への愛着を通し、異質な他者(異文化・異国含め)の理解・尊重に努める事にある。

パン食は一般庶民まで幅広く包摂する現代日本の食文化の一翼だが、『和菓子』は江戸以前は砂糖が非常に希少かつ高額であったため、公家・武家の上流階層の嗜好品に近く、広義の百姓が口にする伝統的な菓子ではなかった。森友学園の『瑞穂(米)の国』の発想と同じく、日本はじめ文化はイメージで単純化されるものだが、パンなのか和菓子なのかの教科書記載は道徳・文化の本質とは関係ないことだと思う。

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