Amazonの『オールタイムベスト小説100』について

Amazonの普段の『総合売上ランキング』は、大型書店で平積みされている本とコミックばかりが並んでいて、読書家にとっては殆ど使い物にならないのだが、Amazonが13年間のビッグデータを駆使して選んだ『オールタイムベスト小説100』は、“読みたい小説で外れではない作品”を探している人には役立つかもしれない。

昔は小説が好きで絶えず読んでいたが、近年は新書や専門書といった『知識・情報を得るための読書』を優先しているためもあって、1ヶ月に2~3冊読むか読まないかのペースとなり、比較的新しい作家の作品については全く読めていない。

流行作家では、伊坂幸太郎や東野圭吾くらいの時代で止まっている感じもあるが、何らかの不可思議な事件や謎を解いていくタイプの広義のミステリーと実際の歴史上の人物や出来事に題材を取った歴史小説がやはり好きである。最近は、登山や自然の猛威を題材にした新田次郎の『山岳小説』も好きで過半の作品は読んでしまったのだが、個人的には登山家の加藤文太郎をモチーフにした『孤高の人』の人物描写や人生観に共感させられるものもある。

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フィリピンのレイテ島の台風被害による混乱

日本も毎年のように台風による人的・物的被害がでているが、フィリピンのレイテ島を襲った台風30号は桁違いの威力で、瞬間風速90メートルを記録して強風・豪雨・高潮によって島の全体に近い面積が壊滅状態に追いやられた。

2005年にアメリカ南東部を襲ったハリケーン・カトリーナに相当するような被害規模と地域秩序の混乱が起こっているが、今後は泥まみれになり浸水した町で公衆衛生の悪化による伝染病の流行も懸念される。更に太平洋上に新たな熱帯低気圧が発生しており、台風30号の被害を増幅させる二次災害に対する危機感も高まっているという。

地球温暖化や太陽の黒点運動、プレートテクトニクス(地殻移動)の影響もあると推測されるが、異常気象の増加・自然災害の大規模化が近年目立っている。日本の東日本大震災は原発事故が加わったので長期的損失・被害の客観評価が難しいが、死傷者の数だけを見ればフィリピンの台風被害も大震災並みの途轍もない被害の大きさである。

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映画『清須会議』の感想

総合評価 90点/100点

明智光秀が謀反を起こした『本能寺の変(1582年)』に倒れた織田信長の後継者を誰にするのかを決めるため、織田家の家老と重臣たちが大挙して清洲城に集結して『清須会議』と呼ばれることになる評定を開くことになった。

圧倒的なカリスマと専制権力で織田軍を強力に指揮していた信長の想定外の死、更に信長に続いて明智との戦いに散った長男・織田信忠(中村勘九郎)の死によって、織田家の跡目を継ぐ資格のある子息は次男・織田信孝(坂東巳之助)と三男・織田信雄(妻夫木聡)とに割れることになった。

三谷幸喜の喜劇映画のオールキャストに近い出演陣だが、笑いやユーモアの要素もふんだんに取り入れながら、『列伝的な歴史物語の面白さ』を十分に抽出している。織田信長・豊臣秀吉・柴田勝家などの戦国武将の伝記が好きな人、清須会議に関する大まかな歴史の知識がある人なら、それだけで時代劇映画としての『清須会議』のストーリーを史実との違いも含めて楽しめる。

何より一人一人の歴史上の武将・人物のキャラクター(性格気質・生き方)として知られている特徴を、大げさに強調して演技させているのが『色のついた時代劇』としての滑稽感や納得感を強めている。

猛将として知られる柴田勝家(役所広司)は、織田信長に初期から随従して殆ど全ての戦で先陣を切り、京都平定(将軍の足利義昭追放)・加賀一向一揆鎮圧の数々の戦で勲功を上げた功労者で、元々は織田家中における格付けは羽柴秀吉よりも圧倒的に上だった。

年齢・軍功・激しい気質において家中で抜きんでていた柴田勝家に対し、若年の羽柴秀吉(木下藤吉郎)は『親父殿』という敬称で呼んでぺこぺこ追従していたが、朝倉義景・浅井長政を攻める辺りから秀吉の戦上手の才覚は開花し始め、個人の武力や気迫では勝家に劣るものの、政治家・指揮官・管理者としての才能や先見性では、次第にただ無骨で忠義なだけの勝家は秀吉の足元にも及ばなくなっていく。

映画の終盤、羽柴秀吉(大泉洋)はねね(中谷美紀)と共に、『清須会議』で傀儡の幼児・三法師(織田信秀)を担いだ秀吉にまんまとやられて憤慨する柴田勝家の馬前に進み出て、田んぼの泥道で土下座しながら『今の織田家があるのは親父殿のお蔭でございます。今後とも織田家のためのご尽力をお願いいたします』と殊勝に述べて、自らがいまだ勝家の下位者であり続ける(本気で三法師を主君として敬い続ける)ような演技をする。

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映画『劇場版 SPEC 結(クローズ) 漸ノ篇』の感想

総合評価 75点/100点

『SPEC』の最終シリーズだが、未詳(ミショウ)の部署で超能力保持者であるスペックホルダーの絡んだ事件を捜査する当麻紗綾(戸田恵梨香)と瀬文焚流(加瀬亮)が、世界の終末を予告する『ファティマ第三の予言』が引き起こす人類生存戦争に巻き込まれていく。

死者を冥界から引き戻してそのスペック(超能力)を自在に活用できる当麻のスペックは強力だが、冥界にアクセスして死者を連れ戻そうとすると当麻の瞳は暗闇のような空洞に変化し、次第に人間としての自我も希薄になっていく。

死んだスペックホルダーを呼び戻したり戦闘のためのスペックを使ったりする度に、人間ではない何物かに変貌しようとしている当麻の変化を間近で見ている瀬文は、『生身の人間としての限界』にチャレンジし続けることで、『スペックに対抗し得る人の強さ』を立証し当麻にスペックを用いることをやめさせようとしている。

既に瀬文はどんなに瀕死の重傷を負っても死なない、短期間で復帰して戦闘に参加することもできるという意味で、人間ではない驚異的にタフなキャラクターなのだが、『SPEC 結 漸ノ篇』でも一(にのまえ)に負わされた重症をものともせずに病院を飛び出し、当麻と一緒に戦列に復帰している。

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自我の内にある“俗(欲)”と“聖(知)”の二元構造:ユングのエナンティオドロミア

現実の社会や人間関係に生きようとする時、誰もが自己と他者の意思であるとか利害であるとかが対立するように感じ、自分と他人との自意識や生活のせめぎ合い(折り合えない感覚)を意識するような『俗物』であることを免れない。

私が『俗物』である時、その幸福の要件は物理的・経済的な豊かさ、あるいは他者(社会)からの承認・評価などに委ねざるを得ず、それらを手に入れるための『欲望・情動』によって激しく興奮したりがっかり落胆してしまったりもする。

俗は成功と失敗、勝利と敗北、優越と劣等、善行と罪悪などの分かりやすい『自己と他者との差異』に執着することでもあるから、俗物になっている時にはエネルギッシュではあるが常に気持ちの平静と縁遠くなりやすい。他者との協力や対立の心理に拘泥することで、『思い通りにならない他者・集団力学』に対して冷静な気持ちでいづらくなったり、何とか良い結果を得ようとして自分の能力・努力の限界まで突っ走って燃え尽きてしまうこともある。

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“マナー違反・非常識”に社会的制裁を与える“第五権力としてのウェブ”の問題:ウェブの仕組みに対する無知・バカが許されない時代

2000年くらいまでのウェブには、『ユーザー間の言い争い・喧嘩沙汰』くらいはあっても『一人の人間の非常識(バカな行動)に対する集団バッシングとしての炎上』はなかった。炎上が可能になるためには『正論を掲げて攻撃する膨大な匿名ユーザー』がいなければならないが、その匿名ユーザーの声を反映させるためのSNSやツイッター、ブログなどの意見集約的な発言環境が本格的に整ってきたのがここ数年の流れだからである。

ウェブ上で『マナー違反・非常識な行動(バカな行動)』を自分の個人情報を漏らしながら自慢するというのは、警察署の前で自分の犯罪行為を大声で叫んでいるのと同じようなシュールな図式とも言える。だが残念ながら、『不特定多数の人(=社会世論)から見られるかもしれないウェブ上の自分(=自分の発言履歴の総体によるリアルな自己像の輪郭)』をイメージできないウェブの仕組みについて無知な人は大勢いる。

その人たち全てにウェブリテラシーを教育する機会を与えることは困難だが、『ウェブの仕組みについて無知である非常識な人』を一方的にバッシングして、罪に相応する以上の罰(リアルでの実害)を与えるというのはやはり行き過ぎた私刑になってくる。

仮にマナー違反を超えた法律違反であっても、『詳細な個人情報・鮮明な肖像をウェブ上に拡散されることの実害』は、罰金・禁固・懲役などの実刑判決に勝るとも劣らないものになり兼ねない。その不祥事による炎上の履歴がウェブ上に長期間にわたって残ってしまうことで、就職がしづらかったり過去の恥を消せなかったり、子供が親の失態でからかわれたりといった『その場だけで終わらない被害』が続くケースも想定される。

スーパーの店内で子供が商品のチーズをかじるも買わずに画像を『Twitter』にアップ 大炎上するも応戦中

子供がお店のチーズを食べてもそれを買い取らずに、逆に注意してきた人を口汚く罵るというのは確かに非常識で不愉快な行為ではあるが、『住んでいる世界が狭くて適切な学習の機会もなかった人たち,周囲に正しいマナーを教えてくれるまともな価値観の人も殆どいないヤンキー文化圏の若い男女(=ウェブ上でDQNと揶揄されるような人)』であれば、そもそもそういった反応しかできない成育歴・家庭環境・性格形成が根底にあることが少なくない。

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