今村雅弘復興相の『東北でよかったの失言』による更迭と当事者意識の希薄化

中央の意識による『東北への思い入れの薄さ・当事者性の欠如』が図らずして漏れた今村復興相だが、政治家は学者ではない、合理的計算よりもTPOに合わせた義理と人情で支持されないと失言になりやすい。

<今村復興相辞任>「ご迷惑かけた」辞表提出後の発言・全文

東京に大地震が起きた時に想定される『全体の被害規模・経済的損失・政治経済の中枢機能麻痺』は、確かに東北地方で大地震が起きた時よりも深刻であり日本は容易に復興できないシビアな状態に追い込まれるが、それは『敢えて比較しなくても分かっている合理的な事実』で政治家としては不要・不快な蛇足の言葉である。

『東北で良かった』は、経済被害・中枢機能で東日本大震災における個別の被災者の人命の価値や悲哀の深さを希薄化する思いやり・温かみのない失言となる。政治家は合理的であるべきだが冷淡な人柄・無感情・皮肉屋であるべきではなく、本当はそんな人間でなくても失言によってそう決めつけられるデメリットは相当に大きい。

今村雅弘復興相は、エヴァンゲリオンのネクタイを締めるなどの遊び心もあり、普段の人間性やユーモアは失言一言に象徴される冷淡な思いやりのない悪人などではないとも思うが、『東北地方はじめ被災地の復興を担当する大臣』としては『被災者の気持ち・期待に寄り添う当事者性と真剣味』が足りなかった事実はある。

東北地方復興の進捗度について、今村復興相は『マラソンなら30キロ地点までは来ている』とほぼ震災復興が終わりに近づいた認識であり、『これから自分が責任を持って被災地復興の政策を推進していく意気込み』が感じられなかった。復興は8割方は終わったといういい加減な認識が失言を招いた。

自主避難者を自己責任と切り捨てた背景にも、『震災はもう昔の話・復興はほぼ終わった・いつまで避難するのか』という意識があったわけで、今村復興相の資質問題は『当事者意識の欠如・これからも続く復興支援の認識の弱さ』に尽きる。既に復興が終わりに近づき、やるべきことは少ないの意識では、被災者を軽んじやすい。

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